農起業×福祉の開拓者「農スクール」代表 小島希世子氏の就農させない農業支援

農起業×福祉の開拓者「農スクール」代表 小島希世子氏の就農させない農業支援

記事更新日: 2019/07/31

執筆: 篠田侑李

「株式会社えと菜園」を起業後、NPO法人「農スクール」を始め、無理強いをしない就農支援を行なっている小島希世子さん。
「来たければ、どうぞ」というラフなスタンスが評判を呼び、小島さんの畑
にはホームレスの方や引きこもりの方が集います。

農スクールの活動を通して人が前向きに変わっていく様子を見てきた小島さんに、見過ごされてきた農分野の可能性について伺いました。

農起業という選択

元々幼少期から農業をやりたいという想いがあった小島さん。

2009年に農地を借りて始めた週末貸農園のようなサービスの余白として、あまった苗を平日に生活保護の方や引きこもりの方に利用してもらう「農業と福祉をつなぐ」取り組みの「農スクール」を始めました。

—幼い頃から農業好きだったのですね。そこに福祉が加わったのはなぜですか。

小島氏:

現在日本の農家は人手・後継者不足。その一方で職にありつけず駅の高架下で暮らすような方々もいます。そこで、両者が助け合えるような仕組みを作れたらと思い、この事業を始めるに至りました。

「社会貢献だから!」というよりは、「助け合わないと勿体無いな」と思ったんです。

私は世の中、どっちかが助けてどっちかが助けられるっていうよりは、関係性のなかで助けられたり助けたりするのだと思っています。

一方が他方を頼る比率は9対1だとしても、一方的に10:0っていうことはないと思いますし、お互いが補えるような仕組みにすると、どちらにとってもプラスになると思います。

ー助け合いを促す、というところに情熱を傾けていらっしゃるのですね。

はい。今も、大義ではなく、個人的にやりたいことだから続けられています。

上手くいかない時も辛い時もありますが「やりたくて自分で選んだ道だ」と踏ん張れるのです。

例えば、農スクールを始めた頃は生活保護の方がお酒を飲んで来たり、けんかをしたりすることがありました。
皆さん自暴自棄になってしまっていて、その中でみんな一丸となって野菜を作るような雰囲気にはなれなくて。

それでも根気強く、1人1人と話をしていくうちに、皆さんの生い立ちや、心が荒んでいる理由が分かるようになりました。そして話を聞いたことで、皆さんも私の話を聞いてくれるようになりました。

—作業をとおして、1人の人間が変わっていく様子を見られるのは素晴らしいですね。

畑作業は「野菜の種をまき、芽が出て育って実が取れました。みんなで食べました」という流れを何度も経験する作業なので、すごく小さな成功体験が毎回積み重なるんです。

するとゆっくりと前向きになっていって「これがやりたい」という自主的な意見が参加者の方から出るようになります。

やっぱり人にとって、ちょっとした自信っていうのは一歩踏み出す活力になるんだなと思います。参加者の中には最初と最後では本当に同じ人だと思えない位に変わる方もいらっしゃるんです。

年に1回は人が変わる瞬間を見られる。そんな生き方はあまりないと思うんですよ。

みなさんを見ると「いくつになっても変われるんだ」と感じられますし、そんな変化を見られることが大きなやりがいなんです。

プログラムが終わったあとでも、顔を見せに来てくれる方や電話をくださる方もいます。嬉しいですね。

—最近では参加者に引きこもりの方が多いようですが、皆さん自発的に申し込んで来られるのですか?

小島氏:

そうです。本人が連絡して実際に出て来るのは、レアケースだと行政の方も仰っています。

押し付けみたいなことはしないという方針が合っているのかも知れません。

基本的には各自作業をしてもらって、無理やりコミュニケーション取らせるようなこともしません。参加者に「なんでうちに来たの?」と1回聞いたら「怒られなさそうだから」と言っていました。笑

やはり本人の人生なので、周りが決めることじゃないと思うんです。

本人が「ちょっと試そう」と思って連絡を下さっているので、私たちはそれをサポートすることに尽くします。変に気遣われたり親切にされたりしても嫌だと思いますし、「うちに来たら、変えてやろう」「救ってやろう」とも考えていません。

「来たければ、どうぞ」というスタンスで来る者は拒まず、去る者も追わないんです。

参加者の方に何か質問されたら答えるけど、基本的には何もしない。

でもそうすることで、皆さんが自発的に行動するようになるんです。聞かなければ教えてもらうこともできないので。

自主性が重んじられる環境を作ることで、参加者の方もほとんど休まず、遅刻も欠席もないような環境づくりに繋がっています。

農業はすべての人間を支える産業。性別の壁も年齢の壁もない。

「株式会社えと菜園」では貸出農園をしたり、独立農家になりたい人向けの講座も開いている小島さん。

—小島さんは子育てをしながら複数の事業を運営されていますが、両立でなかなか難しいところはありますか?

小島氏:

「両立」と考えると、のしかかってくるプレッシャーがあると思うので、仕事と融合させてしまうんです。

農作業は子どもNGではありませんし、お子さんを連れて来られる方も沢山いらっしゃいます。

また、畑は子どもを連れて行っても良いところですし、砂場で遊ぶように土に触って遊ばせることで、子どもにとっても感性を伸ばせるいい遊び場になります。

そう考えると、農分野での起業は次世代のための起業にもなります。子どもたちや孫世代、未来の世代のために農業は続いていかなければいけません。

—農業系の会社は、次世代に繋ぐといった意識が強いのでしょうか?

小島氏:

そうですね。命を支える産業なので世代意識が強く、子供を職場に連れてくることに関しても、ほかの業種に比べたら多分寛容だと思います。

私が以前勤めていた農業系の会社も、子供が生まれたあとでも少し仕事させてもらえて「子どもも連れてきていいよ」と言ってくださりました。

最近、女性の社会進出とかが問題になるなかで「どうやって子育てと両立するか」「いろんな事の折り合いがつかない」と議論になります。そんな中、就農はメジャーでない選択肢ですが、逆にニッチとも考えられます。

都会のコンクリートジャングルの中で、どう子育てとキャリアを両立していくか悩む方は多くいらっしゃるかと思いますが、一歩引いて見れば、畑という、子どもは自由に遊ばせておけて、安全で、感性も育つような場所がある。

食べ物を作るという仕事は、大人のためだけでも子どものためだけでもなく、生きている人間全ての命を支えるものです。

カッコ良いと言われにくく、体力仕事でもありますが、全ての命を支えるような仕事はそうありません。
なので、農業分野は一番男女の格差がない分野なのかもしれません。

取材を終えて

「野菜もそうですが、無理やり肥料を入れて早く育てようとしても上手くいかず、逆に土が痛んでしまうことがあります。でもうまい具合に放っておくと、いつの間にか立派になっている。

焦らず目の前のことをコツコツ続けていった先に、たくさんの実を収穫できるようになる。そんなことをNPOの活動でも、農起業を振り返っても思うんです。」

と仰っていた小島さん。

大義名分のためでなく、自分の好きなことに邁進して、社会貢献をする、素敵な生き方を拝見しました。

篠田侑李

この記事を書いたライター

篠田侑李

テキサス大学オースティン校で映画・メディア・インテリアデザインを学ぶ。趣味は旅行、そぞろ歩き、都内のアンテナショップ巡り。テーマパークの創り手側につくのが夢。

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