「Tokyo Innovation Base」でXRを活用した音楽体験の実証実験を実施〜クラシック×XRによる新たな鑑賞モデル「拡張音楽堂®」が事業化フェーズへ

「Tokyo Innovation Base」でXRを活用した音楽体験の実証実験を実施〜クラシック×XRによる新たな鑑賞モデル「拡張音楽堂®」が事業化フェーズへ

「次世代通信技術活用型スタートアップ支援事業(Tokyo NEXT 5G Boosters Project)」PoC

記事更新日: 2026/02/13

執筆: 長沼 良和

2025年11月27日、東京都が運営する、有楽町にあるスタートアップや新規事業創出のための拠点施設「Tokyo Innovation Base(TIB)」で、XR(Extended Reality)技術を活用した音楽鑑賞体験モデル「拡張音楽堂®」に関して、一般参加者も交えた実証実験が実施されました。今回の取り組みでは、従来コンサートホールに限定されてきたクラシック音楽の鑑賞体験にXR技術を融合させ、新たな体験価値と事業モデルの創出を目指す内容になっていました。

この実証は、アーリーミュージックエンタープライズ(以下、EME)、TOPPAN、TISの三社が連携して推進しており、東京都が実施するスタートアップ支援事業「次世代通信技術活用型スタートアップ支援事業(Tokyo NEXT 5G Boosters Project)」の開発プロモーターであるTISが実施する支援プロジェクトとして展開されています。TIBという都市型オープンスペースで公演を行うことで、従来のホール型公演とは異なる環境下におけるXR演出の再現性、運営体制、通信品質、市場受容性の検証が行われました。

XR技術によって再構築されるクラシック音楽の鑑賞体験

「拡張音楽堂®」は、生演奏と映像演出をリアルタイムで同期させることで、来場者が複合的にコンテンツを体験できる点に特徴があります。今回の実証では、源氏物語を題材とした朗読と、琵琶・チェンバロによる生演奏、さらにCG映像を組み合わせた構成が採用されました。

会場前方には演奏および朗読のステージが設けられ、その背後に大型スクリーンが配置されました。演奏内容や物語の進行に連動してCG映像が常時スクリーンに投影されることで、朗読・音楽・映像が一体となり、観客は古典文学の世界に引き込まれる感覚を楽しむことができます。音響に関しては、クラシック演奏に適した繊細なバランスを維持しながら、XR演出に必要なサウンドデザインを両立させることが求められます。


会場後方には複数台のApple社製のヘッドマウントディスプレイ(HMD)「Apple Vision Pro」が設置され、来場者が任意のタイミングでXR映像を体験できる導線が構築されていました。HMDを装着すると、スクリーン投影とは異なる360度型の視野が提供され、空間全体が映像に置き換わる体験が可能になります。現実空間に360度のCG映像が重なって現れることで、あたかも実世界に映像が浮かび上がっているかのように感じられる仕様です。スクリーン越しとは異なる圧倒的な没入感が得られ、まさに「体験型コンサート」と呼ぶにふさわしい内容となっていました。HMD利用待ちの列が途切れなかったことからも、観客の関心の高さがうかがえます。また、XR体験ゾーンにはオペレーターが常駐し、初めてデバイスを利用する来場者に対して装着方法や操作方法を説明する体制が整えられていました。これにより、技術に不慣れな利用者でもスムーズに体験できる運営モデルの検証も行われていたのです。

小川加恵氏×TOPPANの出会い 古楽器と先端技術が出会うまで

本プロジェクトの出発点は、古楽器に精通するEMEの小川氏と、XRや文化財アーカイブに強みを持つTOPPANとの連携にあります。コンサート体験の満足度をXRで高め、従来のホール環境では実現が難しかった演出に挑戦する構想が、TISの協力により本格的に始動しました。

協業の起点は2022年にさかのぼります。小川氏がメディアアーティスト・落合陽一氏とのコンサート企画を進める中で、東京大学・暦本純一教授とTOPPANが共同研究していた人間拡張技術に着目したことが背景にあります。

小川氏はそれ以前から、クラブツーリズムとの「世界遺産コンサート」で、TOPPANが手がけるXRコンテンツに触れていました。その中で、失われた城や富岡製糸場などの歴史的建造物をXRで再創造し、世界遺産の世界観を映像とコラボレーションしてきたのです。

「私は古楽器を専門とするピアニストです。200〜300年前の歴史的建造物や楽器と、最先端の技術を組み合わせることに大きな可能性を感じていました」(EME・小川氏)

古楽器と、最新のXR技術。一見すると対極にあるように見える組み合わせですが、実際には違うそうです。

「チェンバロは当時の先端技術の結晶です。過去と現在、それぞれの最先端を組み合わせることで、(会場の制限を超えて)演奏者の音楽表現の幅が広がることが拡張音楽堂のコンセプトでもあります」(EME・小川氏)

こうしたビジョンに対して、TOPPANが、「それなら、うちの技術で一緒にコンサートをやりましょう」と応じたことが、「拡張音楽堂®」誕生の原点です。

大阪・関西万博・岐阜サラマンカホールを経た取り組みの深化

最初の大きな実証の場となったのが、「EXPO 2025 大阪・関西万博」でのXRコンサートでした。他のパビリオンでもゴーグルを使ったコンテンツを提供しているところが複数あり、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)の扱いに慣れている来場者が多く、運用面ではスムーズでした。その一方で、準備時間が限られる中での現場対応はかなりのチャレンジだったと言います。


「万博ではコンサートの当日に初めて会場入りして、音響やXRの動作リハーサルをしてそのまま本番突入して、後片付けまで終わらせました。運営としては大変でしたが、事業者としてはとても有意義な初期テストになりました」(TOPPAN 荻野氏)

その後、岐阜のサラマンカホールで行った「メディアアート×語り×和洋古楽器で綴る『源氏物語』~麗しくも儚いものがたり~光る調べ」では、「拡張音楽堂®」の完成度が一気に高まります。Apple社製のヘッドマウントディスプレイ「Apple Vision Pro」でXR体験席を3席確保し、映像と音楽の融合を体験できるようにしました。アンケート結果はほぼ満点ということで大きな自信を得て、XRコンサートとして手応えのある公演になりました。

「XRは、実写のステージと映像の世界がずれると一気に世界観が崩れます。源氏物語の世界と演奏がピタッと重なることで、没入感が生まれたのだと思います」(TOPPAN 荻野氏)

運営側も前日からきちんとリハーサルの時間を確保でき、技術・演出・オペレーションの三拍子が揃った公演として、今回の第3弾へつながっているのです。TIBでの開催は、コンサートホールではない誰でもアクセスできる場所で、同じクオリティの体験を提供できるかを検証する実証実験的な意味合いもあります。

TISが担う役割と期待 開発プロモーターの視点から見た「拡張音楽堂®」

今回の「拡張音楽堂®」は、東京都が実施するスタートアップ支援事業「Tokyo NEXT 5G Boosters Project」に開発プロモーターとして採択されたTIS株式会社の支援プロジェクトの一環として実施されました。本事業は、スタートアップの事業伴走者(開発プロモーター)と協働して、次世代通信技術を活用したサービスの事業化を目指すスタートアップを対象に、技術・運用・事業面の包括的な支援を行うプログラムです。TIS株式会社は本事業に開発プロモーターとして参画しており、EMEを支援先スタートアップとして採択しました。

TISの役割は多岐にわたります。採択後のスタートアップに対する事業計画策定支援に始まり、実証実験のフィールド選定、関係パートナー企業との調整、イベント運営の設計、無線通信環境やネットワークインフラの技術サポートなど、運営全体を支える立場です。XR体験の提供には安定した通信が不可欠であり、TISはその技術基盤の整備を含め、イベント成立のため全面的なバックアップを行なっているのです。

また、東京都からの協定金を活用した費用面の支援も実施されており、実証実験に必要な設備費や会場費の一部を事業費として同支援プロジェクトから支出できるスキームが組まれています。これにより、スタートアップ側のリスクを低減し、実証の機会を拡大させることが可能となりました。

水船氏は、今回の取り組みについて次のように述べています。

「本事業では、スタートアップの皆様が確実にサービス提供できるよう、企画から実証、事業化まで一貫して伴走しています」

今回のTIBでの実証は、単なる技術検証に留まらず、「スタートアップの経営者および新規事業担当者が、どのように本サービスを受け止めるか」という市場観点の検証も含まれています。

会場には、TIBを日常的に利用するスタートアップ経営者、映像制作やXR関連事業に関わる企業関係者が来場し、XR演出の導入可能性を真剣に評価する姿が見受けられました。こうしたフィードバックは事業化を進める上で極めて重要であり、TISとしても注視しているポイントだといいます。

これからこのサービスをどう育てていくか

EME・TOPPAN・TISの三者が目指す「拡張音楽堂®」の将来像は明確です。本プロジェクトは単なるイベントではなく、「クラシック音楽 × XR演出」という新しい体験価値をBtoB向けに提供するサービスとしての確立を目指しています。

今後の展開として想定されているのは、以下のような方向性です。

■ 音楽イベント向けXR演出パッケージとしての事業化

コンサートホールに限定せず、美術館、企業のカンファレンス、学校の体育館、多目的ホールなど、多様な会場に導入可能な「XR演出パッケージ」を提供する構想です。生演奏に合わせて映像演出をリアルタイムに同期させ、主催者が従来実現できなかった表現を実施できるようにします。

「音響設備、スクリーン、観客席があれば、どのような会場でも『拡張音楽堂®』のような体験を提供できるサービスにしたいと考えています」(EME 小川氏)

このアプローチは、会場依存度の低い拡張演出サービスという点で、エンタメ・文化事業を抱える企業にとって利便性が高いモデルといえるでしょう。

■ TOPPANのデジタルアーカイブ資産との連携

TOPPANは長年、文化財の高精細デジタルアーカイブに取り組んでおり、葛飾北斎をはじめとする日本美術の膨大なデータを保有しています。これらアーカイブ資産をXR演出として活用する構想も進んでいます。

「例えば、北斎が描いた江戸の風景や文化財アーカイブと組み合わせることで、歴史・文化に没入できる新たな演出が可能になります」(TOPPAN 荻野氏)

この方向性は文化施設との連携やインバウンド需要とも親和性が高く、今後の事業展開の大きな柱となる可能性を持っていると考えられます。

■ 演奏者にとっての表現拡張プラットフォームとして

演奏者である小川氏にとって「拡張音楽堂®」は表現を広げてくれるプラットフォームでもあるといいます。

「古楽は『古いけれど、現在進行形の音楽』です。楽譜にはほとんど指示が書かれていないので、装飾や強弱など、演奏者が自分で創造しなくてはいけない。だからこそ、とてもクリエイティブな音楽なんです」(EME 小川氏)

AIが急速に発展するいま、小川氏は人間の匠の技の価値に注目します。

「最新のAIがどれだけ進化しても、何百年も積み重ねられてきた伝統や、その場でのインスピレーションから生まれる演奏は、人間にしかできません。その人間にしかできない技を、最新技術とどう共存させるかが、私の挑戦です」(EME 小川氏)

源氏物語、千利休、葛飾北斎といった日本の伝統文化と、西洋の古楽器。この「古今東西」をつなぐ視点から、日本人ならではの古楽器奏者として、世界へ向けた新しい音楽体験を発信していきたいと語ります。

技術は日々変わるからこそ、新しい技術が出てきたら、その都度組み合わせを試していくという柔軟性を持って、「拡張音楽堂®」を進化させていく考えです。

次回公演は戸塚で開催予定、実装フェーズへ移行

「拡張音楽堂®」の次回公演は、2026年3月14日、戸塚区民文化センター「さくらプラザ」での開催が予定されています。通常の生演奏席に加え、XR体験が可能なプレミアム席の設置も計画されています。実証フェーズから実装フェーズへの移行を見据えた展開となる見通しです。料金体系や席数構成なども含め、実際の興行として成立させるための検証が行われる予定です。
https://totsuka.hall-info.jp/event/HOKUSAI20260314.html

古典音楽、日本文化、XR技術を掛け合わせた本取り組みは、エンターテインメント分野にとどまらず、文化・観光・教育・企業イベントといった幅広い分野での活用が期待されます。

今回のTIB実証は、その事業化に向けた重要な検証ステップとして位置付けられ、今後の展開次第では、クラシック音楽の提示方法そのものに新しい選択肢をもたらす可能性を感じられました。

荻野 孝士 (おぎの たかし):写真左
TOPPAN株式会社 情報コミュニケーション事業本部
係長

入社以来、IT開発部門で大手得意先や自社共通基盤システム開発プロジェクトを牽引。その後、事業部のR&D部門に移り、産官学連携の研究開発・事業開発に携わる。東京大学大学院情報学環の客員研究員を兼任。現在は、AIや人間拡張など、最先端テクノロジーを活用したシステム開発プロジェクトにも取り組む。

 

小川 加恵(おがわ かえ):写真中央
アーリーミュージックエンタープライズ株式会社
代表取締役

ピアニストとして、とりわけ古楽器による演奏を専門に、国内外の主要コンサートホールで演奏活動を行う。NHK「クラシック音楽館」「クラシック倶楽部」、テレビ朝日「題名のない音楽会」などメディア出演多数。近年はクラシック音楽とメディアアート、XR技術を融合させた企画制作にも注力し、音楽表現の新たな可能性を切り拓いている。

 

水船 慎介(みずふねしんすけ):写真右
TIS株式会社
ビジネスイノベーション事業部 ストラテジー&イノベーションコンサルティング部
ディレクター

2006年入社、公共セクターでのSE、営業、事業企画を経験し、SaaSの立ち上げや全国展開等を担当。2018年より新規事業の企画支援コンサルとして、事業会社の 官公庁・観光等の事業立上げに従事。2020年より東京都のスタートアップ支援・スマートシティ推進等の協定事業を複数受託、責任者として従事。「TIB CATAPULT(鉄道×スタートアップ TRIP)」、「Be Smart Tokyo」、「Tokyo 5G Boosters Project」、「Tokyo Next 5G Boosters Project」

 

■「次世代通信技術活用型スタートアップ支援事業(Tokyo NEXT 5G Boosters Project)」とは 

東京都では、都内スタートアップ企業が、都心部から郊外・山間部、離島を持つ東京というフィールドを活かしながら、世界で通用する競争力を磨き、5Gをはじめとした次世代通信技術を活用した新たなビジネスやイノベーションを創出し、都民のQOL(Quality of life)向上に寄与する有益なサービスを創出するとともに、各スタートアップ企業の企業価値向上を目指しています。

本事業は、東京都と協働して支援を行う事業者を開発プロモーターとして募集・選定し、スタートアップ企業に対し多角的な支援を行います。開発プロモーターは、3ヶ年度にわたり支援先スタートアップ企業等の開発・事業化を促進するため、連携事業者(通信事業者や実証フィールド提供者、研究機関、VC・金融機関等)と連携しながら、資金的、技術的な支援やマッチング支援等を行います。支援先スタートアップ企業は、開発プロモーター等の支援を受けながら、次世代通信技術等を活用した製品・サービスの開発及び事業上市を目指します。

▼詳細はこちらをご参照ください(本事業Webサイト):https://next-5g-boosters.metro.tokyo.lg.jp/

 

長沼 良和

この記事を書いたライター

長沼 良和

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