「オワコン」の中にこそ未来がある—— 京都の“二層構造”に見る、新時代のアントレプレナー論

「オワコン」の中にこそ未来がある—— 京都の“二層構造”に見る、新時代のアントレプレナー論

サイドイベント:KYOTO Innovation Studio vol.13

記事更新日: 2025/10/17

執筆: 宮林有紀

KYOTO Innovation Studioでは、京都市内外の多様な「知」を持つ方を招き、京都でイノベーションを加速させることをテーマに、様々な意見交換を行っている。

参考:KYOTO Innovation Studio 公式HP

第13回目のトークセッションのテーマは『余白にこそ価値がある。京都で再考する『終わり』の先にあるビジネス』だ。

ファシリテーターを務めたのは京都市都市経営戦略アドバイザー/早稲田大学ビジネススクール教授 入山 章栄 氏。

パネリストには、評論家/PLANETS編集長 宇野 常寛 氏、THE CREATIVE FUND, LLP 代表パートナー 小池 藍 氏、ゆとなみ社 代表/銭湯活動家 湊 三次郎 氏、株式会社 La Madrague 代表 山﨑 三四郎裕宗 氏の4名が登壇した。

銭湯を営む湊氏と、喫茶店を営む山﨑氏は、ともに京都の文化を守りながら、「一度は終わった=オワコン」と見なされがちな業態を、誰もが立ち寄れる「公共的空間」として再生・継承してきた実践者でもある。

経済合理主義の観点からは一見“オワコン”に見なされる存在の中にこそ、未来に必要とされる価値が宿っているのではないか。

本セッションでは「終わり」という概念に注目しながら、銭湯や喫茶店を切り口に、京都の未来やビジネスのあり方を多角的に再考した。

なお、同日の日中には、国内最大規模のスタートアップ・カンファレンス「IVS2025 KYOTO」にて、株式会社ウィズグループ 代表取締役 奥田浩美氏と、臨済宗建仁寺派両足院副住職 伊藤東凌氏による、同テーマのセッションも開催された。

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オワコン領域こそ次のアントレプレナーになる可能性がある―入山 章栄 氏(京都市都市経営戦略アドバイザー/早稲田大学ビジネススクール教授)

ファシリテーター:入山 章栄 氏

早稲田大学大学院 経営管理研究科 早稲田大学ビジネススクール教授

京都市都市経営戦略アドバイザー

慶應義塾大学院経済学研究科修士課程修了後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院より博士号を取得し、同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授。

WBS准教授を経て、2019年に現職へ。「世界標準の経営理論」(ダイヤモンド社)等の著書のほか、メディアでも活発な情報発信を行っている。

入山:約4年前に京都市の都市経営戦略室のメンバーとKYOTO Innovation Studioを立ち上げ、京都のイノベーションを加速させるための活動をしています。

京都は観光目的の訪問者は多い一方で、ビジネス目的は少ないという課題があります。また、京都の中にいる人同士の繋がりも希薄です。

京都には様々な民間企業、芸術界、大学、神社仏閣など、たくさんの魅力があるのに、それぞれが同じ業界同士でしか繋がっておらず分断されています。

イノベーションは遠く離れた知と知が組み合わさった時に起こるので、この「繋がり不足」を解消できれば、“ビジネス都市京都”としてさらに輝けるでしょう。

さて、13回目のセッションとなる今回のテーマは、「余白にこそ価値がある。京都で再考する『終わり』の先にあるビジネス」です。

一見すると終わっていそうに見える文化的なものがこれからは「アントレプレナー」になるのではないか、という考え方がベースになっています。

たとえば、後継者不足で悩む老舗企業のような「終わりかけているもの」が、次の世代には花開くかもしれません。

また、終わることを悪く捉えないことも大切です。

株式会社は半永久的に株価を上げ続けなければならないルールになっていますが、役割を終えた会社は閉じても良いのではないでしょうか。

人がいつかこの世から去るのと同じで「終わり」は避けられない一面もあり、終わった後にさらに価値のあるものができれば、それが京都の魅力向上に繋がります。

こういった「終わり」について、深い議論をしていきましょう。

それでは、パネリストの方から自己紹介をお願いします。

ビジネス的な視点ではなくカルチャー界の人間として京都を鋭く分析―宇野 常寛 氏(批評家/PLANETS 編集長)

パネリスト:宇野 常寛 氏

批評家/PLANETS 編集長

『PLANETS』編集長ほか、明治大学特別招聘教授を務める。また、情報社会やサブカルチャーに対して鋭い視点で批評を行い、「遅いインターネット」などの構想を通じて、生活と文化を結び直す提案を行っている。著書『庭の話』では、プラットフォーム中心の情報環境に対する批判から出発し、ケアと制作を軸にした新たな公共空間の可能性や、市場からの「評価」にも共同体からの「承認」にも依存しない第三の選択肢として「制作」を通じて世界へ関与することを提案している。

宇野:オタクです。アニメとか好きです。

なぜビジネス系イベントに呼ばれたのか不思議なのですが(笑)、過去に約7年間京都に住んだ経験があることも関係しているのでしょう。

今日はビジネスやイノベーション界隈の方とは違う立ち位置の者として、京都の未来について考えていきます。

参考:PLANETS

スタートアップ投資家と現代アートコレクターという2つの顔―小池 藍 氏(THE CREATIVE FUND, LLP 代表パートナー)

パネリスト:小池 藍 氏

THE CREATIVE FUND, LLP 代表パートナー

現代アートコレクターであり、スタートアップ投資家。

広告会社・PEファンド・VCファンドを経て、2020年に「THE CREATIVE FUND」を設立。企業の成長に伴走するだけでなく、文化や芸術、食、地域の営みにも目を向けながら、独自の投資哲学を実践している。

日本ベンチャーキャピタル協会理事、慶應義塾大学大学院特任講師として、制度設計や人材育成にも力を注ぎ、文化庁や自治体の政策アドバイザーとしても幅広く活動中。

小池:私はベンチャー投資ファンドTHE CREATIVE FUND, LLPの代表パートナーですが、同時に現代アートコレクターでもあります。

アートに関心をもったきっかけは、企業が存続するためにはカルチャーやアートが非常に重要だと気づいたからです。

森山未來さんがMCをしているYouTube『MEET YOUR ART』という現代アート専門番組のナビゲーターも務めています。

参考:「アートと出会う」現代アート専門番組【MEET YOUR ART】 - YouTube

「銭湯を日本から消さない」を信念に10軒の銭湯を再建―湊 三次郎 氏(ゆとなみ社 代表/銭湯活動家)

パネリスト:湊 三次郎 氏

ゆとなみ社 代表/銭湯活動家

1990年に静岡県浜松市で生まれ、大学生の時に京都へ移住。銭湯サークルを立ち上げ、京都府内で160軒、合計で700軒ほどの銭湯を巡る。アパレル会社に勤務後、脱サラして「サウナの梅湯(京都)」を継業。現在関西圏を中心に10軒の銭湯を再建する銭湯活動家。「銭湯を日本から消さない」が信念。

: 私は静岡県浜松市出身ですが、大学生の時に京都へ移住しました。

京都で人生初となる銭湯体験をして銭湯サークルを立ち上げ約700件の銭湯巡りをした時に、廃業していく銭湯を目の当たりにしただけでなく、存続させるための対策も十分ではないと感じたため「銭湯を日本から消さない」を信念に掲げて活動しています。

大学卒業後は一旦アパレル会社に就職しましたが、5ヶ月後に脱サラして「サウナの梅湯(京都)」を継業し、現在関西圏を中心に10軒の銭湯を再建しました。

参考:ゆとなみ社

懐かしさだけでなく居場所・関係性を再構築する場としての喫茶店―山﨑 三四郎裕宗 氏(株式会社 La Madrague 代表)

パネリスト:山﨑 三四郎裕宗 氏

株式会社 La Madrague 代表

1975 年、京都市伏見区生まれ。2011 年に京都・御池押小路通りで「喫茶マドラグ」を開業。2022 年にはサンマルクグループとの M&A を実現。単なる“懐かしさ”にとどまらず、現代社会に求められる「居場所」や「関係性」の再構築として、喫茶店の在り方を見つめ直し、100 年先にも続く店づくりを目指している。現在は喫茶飲食組合の理事としても活動し、地域に根ざした喫茶文化を次世代へ継承する取組みに力を注ぐ。

山﨑:私は京都市で生まれ、2011年に京都・御池押小路通りに「喫茶マドラグ」を開業、居場所や関係性を再構築する場である喫茶店の在り方を再考し、百年後も続く店づくりを目指しています。

現在は京都、大阪、京都で6店舗展開していて、2022年にサンマルクグループとM&Aをしました。

京都府喫茶飲食組合の理事として、地域に根ざした喫茶文化を次世代へ継承する取組みも行っています。

参考:喫茶マドラグ

銭湯は「コミュニティ=共同体」ではなく「公共」の場所|喫茶店店主が常連より一見さんに優しくする理由

入山:まずは湊さん、銭湯を再生させた方法についてお聞かせください。

:従来の銭湯はほとんどが家族経営で、お客さんが来るのを待つだけの受け身な姿勢でした。

1990年代頃から利用者が減っていきますが、経営方法を変えずとりあえず続けている銭湯が多かったですね。

小池:銭湯は公衆衛生の観点から地域に必要なものなので、自治体から支援が受けられると聞きましたが、それも関係していますか?

:継続的な補助としては、主に上下水道や固定資産税の減免があり、他は自治体ごとに助成内容が異なります。

入山:だとしたら、他の企業のようにしっかりマーケティングや営業を行って新規のお客さんを獲得しないといけませんね。

:はい、だから再生させるために、受け身ではない経営に変更しました。

入山:宇野さんはここまでのお話を聞かれていかがですか?

宇野:この手の話は最近猫も杓子も「地域のコミュニティづくり」を合唱しますが、僕は苦手です(笑)なぜなら常連によるグループができていると、僕のようなよそ者が入りにくく楽しめないからです。そもそも、コミュニティはカーストの上位や中心にいるメンバーにとってはいいものでしょうが、そうではない人にとっては息苦しいものです。だから人類は都市化と個人化を選んできたわけです。また、一見フラットなコミュニティも、だからこそ、求心力を維持するために、外部に敵を作って攻撃的になることが多い。近年、トレンドのコミュニティ回帰に対して、僕は根本的に疑問を持っています。

僕は銭湯好きなのですが、良い銭湯はこの辺りの調整が上手で、一見さんでも受け入れてくれて、誰もが平等に扱ってもらえます。逆にこういった問題に無頓着な銭湯は、今時のスーパー銭湯であったとしても、常連が強力なコミュニティを作り、勝手にローカルルールを作り上げて、一見さんを抑圧すると言うケースも少なくないです。この辺にポイントがあると思います。

つまり、メンバーシップを問わない場所、言い換えれば「何者であるかを問われない特別な場所」がよい銭湯だと僕は思います。どこの共同体のメンバーかを問われず、規定の料金さえ払えば、誰でも尊重してもらえるからこそ「自分の居場所がある」と感じるんですよね。公共空間としての銭湯という視点で考えた時、この点がとても重要です。

多くの人が混同しがちですが、「共同性(コミュニティ)」と「公共性」は全くの別物なので分けて考えないといけません。人間は共同体の中で認められる何者かでありたいと強く思うものですが、それと同じぐらい何者であるかを問われることなく、自をも認めてもらいたいという欲望もあります。

自分が何者であるのか、どこの会社に所属しているのか、そういったコミュニティに関係なく自分の存在を受け入れてもらえるという”信頼感”が公共空間である銭湯には必要です。

公衆衛生という観点だと銭湯はオワコンかもしれませんが、公共性という観点では必要なので、今後について戦略を立てないといけないのでしょう。

:私も同じ意見です。

銭湯はコミュニティで人々が繋がっていると語られがちですが、私はそこに疑問をもっていて、もっと緩やかに繋がる場所でも良いのではないでしょうか。

宇野大事なのは特定の文化を無理やり残すことではなく、その精神を引き継いで新しいものを生み出すこと

日本は銭湯という形で公共の場を作ってきましたが、その精神を持つ公共の場があれば、形にはこだわらなくて良いでしょう。

入山:全ての世代が集まってくる場所は、銭湯以外ではパチンコ屋とサイゼリヤしかないと言われています。

:銭湯にはホームレスから会社の社長まで様々な人が集まります。そういう場所は今の日本社会ではなかなかありません。

山﨑:喫茶店も何者でもない自分を受け入れてくれる場所かもしれませんね。私は喫茶店の常連さんはあまり構わず一見さんに丁寧に接します。

入山:常連さんとは信頼関係があるからできることなのでしょうか?

山﨑:そうです、「常連の誇り」と我々は呼んでいます。我々は新規のお客さんにマナーを守ってもらうなど、“場を安定させる取組み”も行わなければなりません。

一見さんにリピーターになってもらうこと、そしてマナーを守ってもらうことで安定した場を提供し常連さんにリラックスして過ごしてもらうこと、この二つを目指しています。

文化や精神性に公共性をプラスして利益を生み出すまちづくりの仕方

宇野:実は本屋も色々な人が集まる公共性の高い場所です。

Amazonが行っているようなユーザーの好みに合った本のレコメンドは、僕は良くないと思っています。

欲しいことに気づいてない本との出会いが、どれだけ自分の世界を広げてくれるか……これは多くの人が経験的に知っていますよね。

言い換えれば、その街に良い本屋があることが、その街に暮らす人が出会える価値のバリエーションを保障してくれる。そして本屋も客のメンバーシップを問わない。 

だから、本屋は単に本を買う場所ではなく、公共的な価値もあるのではないでしょうか。

今なかなか書店って言うビジネスは厳しく街の本屋はどんどん潰れて行きますが、僕が今度オープンする「宇野書店」は不動産と組み合わせたビジネスモデルです。要するに入居しているオフィスビルの共用施設の1部と言う位置づけで、テナントに対して、ビルの付加価値を上げることや、エリアマネジメントに貢献することで、マネタイズするモデルです。だから売り上げを一切気にすることありません。そのため置く本はAmazonのランキングを一切気にせず、私が選んだ人文、社会、サブカルチャーに特化しています。

本屋という1回オワコンになったものを再生することを目指したチャレンジです。

小池文化的なものや精神性それ自体で利益を出すのは難しいんですよね。

利益を出そうとすると精神性が守られなくなるので、他の利益が出るものと組み合わせないといけないと考えています。

:銭湯はかつてとても儲かる商売だったので、不動産を保有している経営者が結構います。

不動産で赤字を埋められるので、採算の取れない銭湯でも残っているんですよね。

宇野:僕は、文化が一方的に支援されるだけの存在になることには慎重であるべきだと考えています。なにかに頼りきった状態では、支援が途絶えた瞬間に崩れてしまうからです。

だから「本屋や文化的なものには公共的な価値がある」というコンセンサスを私は作りたいんです。

そうすれば、マネタイズしやすくなり本屋が生み出す価値が高まるでしょう。

入山:これはまさに山﨑さんの喫茶店経営に通ずる部分です。

「手頃な価格でコーヒーが飲める喫茶店こそ公共的な価値があり、たくさんの人が訪れる場所になれば売上も上がる」とサンマルクにアピールしたら、役員が納得するかもしれません。

山﨑:過去に京都の古い商店街で閉店した店を改装してカフェにすることによって、そのエリアを文化的に発展させる取組みを行っていました。

今は喫茶文化が途絶えないよう、廃業しそうな喫茶店や経営者が高齢になった喫茶店に跡継ぎを見つけて紹介しています。

その結果「昔ながらの喫茶店がある街は良いよね」と多くの人に思ってもらえると本望ですね。

京都は「閉鎖的」であり「よそ者が住みやすい」消えつつある京都の“二層構造”

入山:過去のトークセッション(KYOTO Innovation Studio Session vol.12・13)で「京都は茶室の躙(にじ)り口のようなものが必要だ」という意見が出ました。

「誰でも入れる場所ではなく、お互いの利益が一致した人だけが入ってくることができる場所にすべき」という考え方で、公共空間としての銭湯や喫茶店も閉じる部分と開く部分の塩梅がカギになるのかもしれません。

小池:私もそうだと思います。

今はハイブランドが読書会を開く時代です。かつては商品を売るだけでしたが、今は読書という同じ趣味をもつ者が集まる「緩いコミュニティづくり」をしています。

宇野:京都は一見さんお断り文化に象徴されるような敷居が高く「閉鎖的な場所」であり、一方で「よそ者が入ってきやすい場所」もある二層構造なのではないでしょうか。

僕の父は転勤族で色々な場所に住んだ経験がありますが、その後20代を過ごした京都はとても住みやすいと感じました。

京都は人口の約1割が学生です。それだけではなくこう言ってはなんですが、いまいち何をやってるかよくわからない、自称クリエイターのような怪しい人とかもたくさんいます。トラディショナルな1000年続くコミュニティの外側に、いい加減でふわふわしたモラトリアムの空間が広がっている。でも、そういった緩さが、一般的なイメージとは裏腹によそものがどんどん入ってくる状態を維持してると思いますし、もっと言えばこの街の居心地の良さを担保してるように僕は強く感じました。それは間違いなく、京都の文化の一部になっていて、クリエイティビティーの源泉になってると思います。老舗の料亭がある一方で、京都には洋食とかパンとか粉ものとか定食屋に美味しいお店も多いのですが、これも同じ二層構造の産物でしょう。

絵葉書の中のような”ハイブランド路線の表の京都”の周りには、”もう一つの裏の京都”があるんですよね。

:ここ10年でその京都らしさが失われていて、東京や外資系の企業が京都というマーケットを使って商売したことで、面白い人が京都から離れてしまった気がします。

山﨑:インバウンド目当ての東京や外資の企業が、京都”風”のお店を立地の良い場所に作っています。我々が大事にしているのは、観光客が集まっている場所より、平凡だけど守りたい日常の風景です。

それなのに、インバウンドビジネスに侵食されているのが実状です。

外部からの参入により京都の土地価格が上昇|行政が行うべきエリアマネジメント

:外部からの参入が増えて以前より地価が高くなり、賃料が上がって昔から商売していた人の負担が重くなったり、地元の人が起業しにくくなったりしています。

宇野:そこは市場原理に任せて野放しにするのではなく、行政が介入しないといけません。個人が出店できない場所になったら、それこそオワコンです。

土地の価値を上げることも大事ですが、市政がやるべきことは不動産や地域をゾーニングしてしっかり抑制すること。

住民の暮らしを壊さないことや京都のクリエイターが気軽に挑戦できる社会が継続した時に、京都の面白さを初めて維持できます。

京都の魅力は「ハレ(非日常)」だけではなく「ケ(日常)」なんですよね。

例えば、僕は通学で使っていた大きなお寺の境内に、そこに暮らし始めてからだいぶ経った後で応仁の乱の矢傷が残っていたりすることを知り、驚いた経験があります。古い街に暮らすと言うのは、暮らしの中で、それと意識することなく自分の人生より何倍も長い時間・スケールのものが存在することを体感することになります。こうした「ケ」の魅力を維持することが、もっとも重要なミッションだと僕は考えます。そのためには土地の値段を経済的に上げることを目的にするのではなく、もっと別のものを基準に考える必要があります。

小池:京都の老舗企業が東京や外資の企業に買収されるケースが急増していますが、山﨑さんがM&Aをした一番の理由はなんだったのでしょう。

山﨑:我が社の役員は全員現場の出身で、役所から届いたたくさんの書類に誰も対処できなかったため、M&Aをするか事務の職員を雇うかのどちらかにすることを決めました。

M&Aと採用活動を同時に進めていたのですが、予想以上にM&Aの話が早く進んで断れない状況になってしまったのです(笑)。

小池:他にも同じ悩みを持っている企業がいるかもしれないので、行政が書類の手続きを簡略化したり、サポートすることも京都を守ることに繋がるでしょう。

宇野:もう事務作業はやりたくないですね。

僕のような社会への適応が苦手な人がいないと、文化は盛り上がらないんですよ(笑)

:京都に何をしてるか分からない人が多いのは、社会に適応しづらい人にとって居心地の良い緩やかさがあるせいでしょう。

入山:完璧や強者ばかりを求めず、不完全さを許容したほうが京都らしさが残るのかもしれませんね。

京都の伝統を守るためには京都の職人やサービス提供者の価値を正当に見積もることが重要

小池:京都はサービスを提供する地元の人の賃金が低く、一方で提供先は富裕層です。

だけど提供者側は「生活水準を上げる必要はない」と言って賃金が上がりません。

これこそがインバウンドビジネスに勝てない理由なのではないでしょうか。

入山「京都はもっと価格を上げるべきだ」と多くの人が言っていますよね。

:銭湯は物価統制令によって都道府県ごとに入浴料の上限価格が決まっているので、グッズ販売などで利益を出しています。

入山:もし上限がなかったら値上げしますか?

:したとしても利用者が納得できる料金にします。

私は利益を上げたいのではなく、地域の人が使いやすい銭湯にしたいんですよね。

山﨑:私も昔ながらの喫茶店を残したいので、500円程度の手頃な価格でコーヒーを提供したいです。

小池:傘下に入ったサンマルクからは、価格についてなにか言われますか?

山﨑:毎月本部での取締役会で、役員から売上や価格等について厳しく指摘されます(笑)。

30項目ほど「この数字は?」と怒られているような雰囲気で質問されますが、それに対して「これは……なんでしょうね」「どうしてこうなってしまったのか……」とお茶を濁してやり過ごしています(笑)

入山:すごい処世術ですね(笑)値上げの要請はないのでしょうか?

値上げの話が出た時は「そうですね」とだけ答えて(笑)、最終的な決定権は私にあるので値上げはしていません。

小池「料金を不必要に上げるくらいなら辞める」と考える経営者もいますよね。

宇野:職人や経営者の意志を尊重すべきなので、僕はそれで良いと思っています。

しかし、低価格を推奨しているわけではありません。

時間と手間をかけて一つひとつ手仕事で作っている職人達や地道な努力を重ねている経営者が報われないのは間違っていると思うからです。

この辺りの矛盾をビジネス的な知恵で解決できたら良いですよね。

入山:そういった点も含めて、参加者からの質問に答えながら議論を深めていきましょう。

今回は、日中のセッションに登壇いただいた臨済宗建仁寺派両足院副住職の伊藤 東凌さんも参加されていますが、これまでの議論を聞いて、お寺の立場からひと言いただけますか。

質問①価格の幅や定義を広げてみては?

伊藤:手頃な価格の喫茶店と高級路線の喫茶店を作るといった、一つの喫茶店でも手頃なコーヒーと高価格帯のコーヒーの二段構えにしても良いと思いますか?

山﨑:そうですね、たとえば一杯5,000円のコーヒーを飲んで「美味しいし居心地が良かったから5,000円でも安かったね」と思ってもらえるならばという条件付きですが、どこかのタイミングでできたら良いと思います。

:私はそういうことをしたいと思わないので、敢えてやらないですね。

伊藤:もう一つ思ったのは、喫茶店や銭湯という言葉の定義です。

全国に77,000件ほどのお寺があり、貴族しか入れなかったお寺もあれば、誰でも入れる公共の場としてのお寺もあります。

定義を狭くせず、喫茶店や銭湯もいろいろなタイプがあっても良いのではないでしょうか。

入山:昔ながらの銭湯や喫茶店にこだわる必要はないということですね。

それにしても、お寺に色々な種類があるとは知りませんでした。

宇野:お寺に関しては、誰でも入れる公共の場であって欲しいと思っています。

なぜなら、目的をもたずに行ける場所だからです。

コンビニや郵便局は何か用事があって行く場所ですが、人間は目的があると目的に意識が集中してしまいます。

無目的に行動できる場所は、それゆえに価値があると考えます。これはかなり成熟した考え方だと思いますが、このコンセンサスを今の日本で、街単位で得られるとしたら京都しかないように思います。

伊藤:無目的な場所は本当に少なくなってきて、公園やお寺、神社くらいしかありません。

しかし、公園、お寺、神社があることで、その土地の価値を上げることができます。

もともと寺町という概念があり、お寺があることによって、下駄、数珠、線香などを販売するお店ができて人が通うところになり、様々な商売が発展していきました。

こういった公共の場の在り方が、これからの京都の街づくりで重要なキーワードになるかもしれませんね。

質問②畳などもっと終わりそうなビジネスについては?

小池:茶の湯は長く続いていますが、同じものをかたくなに守っているわけではありません。

実は家元が変わるたびに大刷新しています。

「新しいものを提唱して受け入れられた人が本物だ」と評価される世界です。

他の分野でも京都の老舗企業なら、こういった続け方ができるのではないでしょうか。

質問③京都らしさが失われつつある今、周りからの外圧に対してどういうマインドでいれば良いのか?

:引き継いだ銭湯は50年〜100年の歴史があり、「新しいものではなく、既にこの土地に根付いているものだから今後も残るに決まっている」という自信で突き進んでいます。

宇野:文化は、何らかの「賭け」がないと発展しません。

しかし、行政は新しい文化をつくりたくても賭けができないんですよね。

なぜなら、行政が作るものでは公園が典型例ですが、公園を作る際には多様な関係者すべてが利益を得られるものにしなければならず、結果、がんばっても有名カフェのある大きな公園のような画一的なものに落ち着きがちです。

となったら、新しい文化をつくるために私的な空間を公的に開いていくしかない。

とはいえ、規模が大きいと資本主義の原理に取込まれてグローバルプラットフォームやSNSプラットフォームのようになってしまいます。

だから、「リスクがあっても賭ける」というマインドを持ってミドルサイズやスモールサイズの庭のような空間をたくさん作っていくのが良いでしょう。

重要なのは特定のブランドが残っていくことではなく、むしろ京都という街が育んできた暮らしの中から新しい文化を生み出していく土壌のようなものを残すことだと思います。僕が先ほど述べた京都の二層構造の、「いいかげんな」部分はこの土壌のためにこそ不可欠です。

小池「なにを終わらせて、なにを残すのか」の線引きも重要ですよね。

日本だけにある「名刺文化」はいつ終わるのか?という話をしていた時、「名刺業界でイノベーションが起こったから日本の名刺文化は終わらない」という結論になりました。

本来なら終わらせても良いものなのに、イノベーションが終わらせることを阻害しているケースです。

もしかしたら京都も外の人が手を出すことで、もう必要がなくなったものなのに終われないものが出てくるかもしれません。

入山:新陳代謝が悪くなるのは問題です。

終わるべきものが終わらず滞留しないよう、その点についても考えないといけませんね。

質問④そもそも伝統とは何なのか?

山﨑:京都は伝統の街と言われていますが、そもそも伝統とはなんなのでしょうか。

本来、伝統とは精神性を残すこと。

これは一対一で伝えないと残せないようなものです。

変わり続けてサバイブしたものこそが伝統なので、いま世間でよく言われている目で見える伝統はそこまで価値がないのではないでしょうか。

他県と比較すると奈良は「絶対に変えない」という硬派な価値観や「なくなるならなくなるで良い」という美意識があり、トランジションさせて生き残ったものには価値がないと考える傾向があります。

京都はそこまでの強さはなく、でもトランジションさせたものに抵抗があるなら、コンテンポラリーなものに価値を復活させていく方向性が最適だと考えました。

お茶の世界では、男性しか茶室に入れない文化がありましたが、継続困難になった時に女性が花嫁修業でお茶を習う習慣をつくるという大胆な「意味変」をしました。

京都は「古いものが残ってる”風”な街」にするのではなく、意味変をしてコンテンポラリーを極めたほうが良いと思います。

質問⑤かつて京都は公家のバックアップがあって栄えたが、現在は資産家からの支援はないのか?

参加者:土地を持っている方で、祇園祭の運営をしている方がいます。

入山:祇園祭のような大きな文化には支援が集まるのに、町の銭湯や喫茶店といった日常の文化には支援が届いていないんですね。

小池:現代アートの世界では、「関西圏の人はお金持ちでもアートを買わない」と言われています。

京都はギャラリーの数が少なく、お客さんはほとんど外部の人です。

山﨑:20年ぐらい前にたくさん参入してきましたが、すぐ撤退しましたからね。

宇野:現代アートは文脈のゲームに特化しすぎたことで、京都の人々に受け入れてもらえなかったのかもしれませんね。

伊藤:一部の花街は厳しい状況ですが、花街を丁寧に支えている資産家もいます。

過去と比較すると、昔の資産家は創業した店に住んで事業を営んでいましたが、現在は店と住まいが別だったり東京や海外に住んだりと、外へと意識が向いています。

それは時代の変化なのでしょう。

入山:なるほど、支える資産家が少なくなってきたとはいえ残っているし、京都外に住む京都出身の資産家もいるんですね。

京都の経営者や職人が京都出身の資産家と繋がることを視野に入れると良いかもしれません。

議論が大変盛り上がっていますが、時間になりましたのでこれで終わりにします。

皆さま、有意義なお話をありがとうございました(拍手)

 

 

KYOTO Innovation StudioではSessionにて生まれたアイディアをプロジェクトとして実装していく取り組みを行なっています。

さらに、京都市内外での繋がりを広げていくために交流会やコミュニケーションプラットフォームを運営しております。

本記事に関連して、本プロジェクトへのご質問がある方はHPお問い合わせ先までご連絡いただけますと幸いです。

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