自らの挫折を糧にスタートアップ支援の最前線へ。元起業家が見出した「挑戦の価値」とは

自らの挫折を糧にスタートアップ支援の最前線へ。元起業家が見出した「挑戦の価値」とは

田村悠馬氏

記事更新日: 2025/01/22

執筆: 市岡光子

自分で失敗を経験したからこそ、起業家に心から寄り添ったサポートが実現できている――。

そう語るのは、ガイアックスで起業家支援を行う田村悠馬さんです。

田村さんは、2社での社会人経験や個人事業主としての経験を経て、リテールテックを意識した海外向けの古着販売事業で起業に挑戦しました。しかし、たしかな自信を持ってリリースした事業は、成果を生むことなく撤退に。大きな挫折を味わったといいます。

田村さんは過去の経験から何を学び、現在の起業家支援にどのように活かしているのでしょうか。これまでのキャリアと起業家支援にかける想いなどについて、詳しく話を聞きました。

田村 悠馬

1994年生まれ、神奈川県出身。新卒で大手駅ビル会社に就職し、テナントへのコンサルティング業務やイベント企画などに携わる。有名アパレルブランドへの出向も経験した後、独立。個人事業主として、中小企業経営者の伴走支援を手がける。その後、フードテック領域のスタートアップにOMOマーケティング責任者として転職するも、1年ほどで同社が解散。それをきっかけに起業し、海外向けの古着販売事業を行う。2023年11月よりガイアックスに参画。スタートアップスタジオ事業部責任者・投資担当者として起業家支援に尽力している。

大手駅ビルで培った事業の支援経験をもとに独立

――田村さんは大学卒業後、駅ビルを運営する大手企業に就職されたそうですね。

そうなんです。就職活動をしていた当時、まちづくりやアパレルに興味があったことから、どちらの領域にも携われる駅ビルの運営に魅力を感じ、大手鉄道会社の系列企業に入社しました。

この会社では、自社で発行しているクレジットカードの新規会員獲得に向けた施策の企画・実行をはじめ、自社SNSの運用やインフルエンサーとのタイアップ、イベントの企画・プロジェクトマネジメント、さらに200以上のテナントに対するコンサルティングなど、幅広い業務を経験しました。

また、大手アパレルブランドへの出向も経験。店舗の販売促進やマーケティング業務、営業活動にも従事しました。

――特に印象に残っているプロジェクトはありますか?

大手眼鏡チェーンの新規ブランドを支援したことは、現在の私にとってひとつの原点となっているので、よく覚えています。

ほとんど売り上げが立たず、あと数カ月で撤退を決断しなければならない状況にありましたが、関係者を巻き込んで、事業設計やPL、資本政策のまとめ直しを推進しました。

その結果、赤字体質の資金繰りを改善することができ、事業をグロースさせることができたんです。

――そこから、どのようなキャリアを歩んだのですか?

大手駅ビル会社に4年ほど勤務した後、体調を崩したことをきっかけに2021年3月に退職。個人事業主として独立しました。

当時、主に手がけていたのは、中小・零細企業のD2Cブランディングや新規事業の伴走支援です。

ちょうどコロナ禍だったこともあり、オンライン集客や新たな収益源となる事業の創出に頭を悩ませている企業が多いと感じていました。

そこで、これまでの経験や知見を活かせば、そうした課題を抱える企業のお役に立てるのではないかと考え、経営者に寄り添いながら事業の立ち上げや成長を支援する事業を始めたのです。

実際、この事業はお客様づてに引き合いをいただき、2年間で5社を担当。その中には、売上ゼロの状態から数億円規模にまで成長した企業もあります。

こうした実績が次の仕事につながり、SNSマーケティングや貸し切りサウナ事業の企画・運営、さらにはスタートアップ企業の社長室業務なども請け負うようになりました。

転職直後に暗雲が立ち込めたスタートアップ時代

――個人事業主として軌道に乗ったことで、会社を立ち上げたのですか?

いえ、起業前に一度、スタートアップへの転職を経験しています。

ありがたいことに、個人事業主としては、本当にさまざまな業務に携わる機会をいただきました。

ですが、自分の仕事が社会に与えるインパクトや自己成長を考えたとき、このままでは成長が鈍化してしまうのではないかという危機感を覚えたんです。

そのため、たまたま縁があったフードテックのスタートアップ企業に転職することを決めました。

しかし、転職後すぐに状況が一変しました。入社直後、その会社がM&Aされ、大手通信会社とのジョイントベンチャーに統合されることが決まったのです。

さらに、その後も会社の業績は思うように改善せず、私が入社して1年を待たずして解散することが決定しました。

――その後、田村さんはどのようなキャリアを選択したのでしょうか。

会社からは、大手通信会社の系列会社への転籍や、事業の一部承継といったさまざまな選択肢を提示されました。

ただ、私はスタートアップをやることに疲れてしまっていたこともあり、当時の社長の勧めもあって独立・起業することに決めました。

2023年5月に会社を立ち上げましたが、最初はとにかく箱を作ったという形で、特にオリジナルの事業を手がけてはいませんでした。それまで関わりのあった方からいただいたお仕事を、個人事業主時代と同じようにこなしていく日々を過ごしていましたね。

仲間への謝罪を経て。リテールテック事業の失敗から新たなステージへ

――勤めていたスタートアップが2023年9月に解散となった後、並行して進めていた自社でいよいよ事業立ち上げに向かうわけですが、田村さんは具体的にどのようなサービスを展開されていたのでしょうか。

経験のあるアパレル領域でリテールテック事業をやりたくて、お店や古着屋では販売できない傷物商品や状態の良くない古着を仕入れ、パートナー企業に修理とクリーニングを行ってもらってから、海外に販売するというサービスを運営していました。

ただ、この事業は、自分の経験を総動員して確信を持って始めたものだったのにもかかわらず、思うように成長させることができませんでした。

物流やマーケティングにかかるコストが予想以上に膨らんだうえ、売上がほとんど立たず、ようやく商品が売れてもクレームがついてしまうという散々な状況になってしまって。

その結果、一緒に事業をやっていたメンバーの士気が大きく低下してしまったのですが、私もそれ以上、メンバーを鼓舞しながら自分の会社を上手く回していく自信が持てませんでした。

このままではいけないと感じていたところ、学生時代の友人に誘われたことをきっかけに、ガイアックスで仕事をすることになったのです。

――なるほど。田村さんがガイアックスで働き始めたのは、自社事業の失敗が大きなきっかけだったのですね。

そうなんです。最初は自分の会社を続けていくつもりで、業務委託メンバーとして携わっていたのですが、次第に起業家支援のほうがおもしろくなり、現在は会社を休眠させています。

当時一緒に事業を進めていたコアメンバーには深く謝罪し、会社を離れてもらいました。今は、ガイアックスでの仕事にすべてのリソースを注いでいます。

――ガイアックスでは現在、どのような業務を担当されているのですか?

スタートアップスタジオ事業部の副部長として、プレシードから資金調達前のスタートアップを対象とした伴走支援を行っています。

年間で100名ほどの起業家を支援しており、インキュベーションプログラムの企画運営や、ガイアックスとして行う投資判断などにも携わっています。

――創業期のスタートアップを支援する上で大切にしていることを教えてください。

創業者の考え方や実現したいビジョンを、自分事化して理解できるようになるまで、しっかりすり合わせすることでしょうか。

創業者の“脳内”が自分の中にリンクするようになると、その方のやりたいことをベースとしながら、事業構想や計画を最短距離かつ最適な形に仕上げてサポートできると感じています。

――ご自身の起業経験は、起業家支援に役立っていますか?

大いに役立っていますね。自分で起業したからこそ、創業者の気持ちがよく分かるので、より深く寄り添いながら伴走支援ができます。そこが私の強みだと思っています。

例えば、事業が思うように進まないときにメンバーや株主から受けるプレッシャー、口座から現金が減っていく恐怖感……このような心境は、その状況を自分で経験したことのある人にしか分かりません。

創業期のスタートアップは、最終的に「創業者の心が折れずに事業構想・構築をやり切ること」が何よりも大切だと考えています。

創業者の大変さに寄り添いながら、彼ら、彼女らがやりたいことを、より確度の高い事業にブラッシュアップしていく。

そのための支援を、これまでの経験をフル活用しながら行っています。

事業立ち上げ成功のポイントは「PDCA」をしっかり回すこと

――これまで数多くの起業家を支援する中で気づいた、「事業立ち上げを成功させるポイント」は何かありますか?

基本的なことですが、事業のPDCAサイクルをしっかりと回すことだと思います。

PlanとDoばかりに手をつけて、キャッシュがどんどん消えていく……そうした起業家をたくさん見てきました。大切なのは、CheckとActionのほうです。

起業家自身が仮説検証を正しく行うことは意外と難しいことで、支援として仮説検証の伴走を行うことも多いですし、私が行う起業家支援そのものにおいても、仮説検証を仕組み化するということはかなり意識して取り組んでいますね。

失敗から何を学ぶか?

――今振り返って、ご自身の事業の敗因も仮説検証にあると感じますか?

そうですね。仮説検証は、確実に私の事業の敗因の1つだったと言えると思います。

他社の事業成長支援を行っていた際には、仮説検証をしっかりと実行できていたので、自分の事業でも同じように上手くいくだろうと思い込んでいたんです。

しかし、その自信が結果的にあだとなってしまいました。最初からサービスを作り込んでしまったことで、「想定していたよりもお客様が少ない」「喜ばれていない」と気付いた時には、後戻りできない状況になってしまって。

今振り返ると、スモールステップで一つひとつ進めていけば良かったと強く思います。その点は、今でも後悔しています。

――なるほど。ちなみに、次の挑戦をする上では失敗要因の分析も欠かせないと思います。田村さんは失敗から何を学び、どのように次に活かせば良いと思いますか?

あまり振り返りたくない記憶かもしれませんが、事業を進める中で自分が行ってきた意思決定を一つひとつ書き出して、後から見返せるようにしておくと良いと思います。

私も、事業失敗のターニングポイントとなった分岐点がいくつかあったなと感じるので……。

特に、事業が上手くいっていないときに新たな施策を考えるのは悪手だと個人的には思います。

私自身がそうだったのですが、気持ちが落ち込んでいるときにいくら考えても良いアイデアは出てこないものです。

一度区切りをつけて、心身をリフレッシュしてから次の挑戦を考えたほうが、成功確率が上がるのではないかと思います。

――起業経験を活かして再チャレンジがしやすくなる社会を作るためには、どのような仕組みが必要だと思いますか?

私自身が今、起業経験を踏まえて「誰よりも早く、小さく失敗すること」を大切にしているのですが、そうした考え方も含め、起業の最初期に必要な考え方や取り組むべきことについて、もっと情報発信をしていく必要があると感じています。

今はさまざまなツールがありますから、そこまでお金をかけずとも3カ月ほどあれば1つの事業アイデアを検証できるはずです。

検証が上手くいけば事業化を加速させれば良いですし、たとえ失敗しても大きな失敗ではないので再チャレンジしやすいですよね。

以前開催したTOKYO Re:STARTERのトークイベントで、AnyTrail株式会社 代表取締役 長浜佑樹さんが、ご自身の起業経験を振り返りながら「もっと早く失敗しておけば良かった」とおっしゃっていたのが印象的でした。

本当にその通りだと感じます。私自身も起業家の皆さんに「小さく早く失敗すること」の価値を伝えつつ、事業が上手くいくように、サポートできたらと思います。

——最後に、田村さんにとっての「起業の価値」とは?

事業やビジネスとは何かを学べること、それが起業の価値だと考えています。

たとえるなら、それは「海外留学」のようなものです。英語を身につけたいなら、日本で座学を重ねるよりも、実際に海外に行って現地で英語を使うほうが、圧倒的に身につくはずです。

起業も同じで、世の中にインパクトのある事業をつくりたいと思うのなら、まずは小さく行動し、失敗してみることが大切です。

その経験から得られる学びこそが、起業の真の価値だと思います。

市岡光子

この記事を書いたライター

市岡光子

フリーのライター・編集。広報として大学職員、PR会社、スタートアップ創出ベンチャーを経験後、ライターとして独立。書籍や企業のオウンドメディア、大手メディアで執筆。スタートアップの広報にも従事中。

サイト:https://terukoichioka128.com/
Twitter:https://twitter.com/ichika674128

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