京都市内の中小企業約200名が参加! グローバルで活躍!受け継がれた突き抜ける技術力と共に新たな価値を提示する跡継ぎ×欧州最大級のコンサル元日本代表に学ぶ。自社の強みを進化させ、時代の先を行く方法とは

京都市内の中小企業約200名が参加! グローバルで活躍!受け継がれた突き抜ける技術力と共に新たな価値を提示する跡継ぎ×欧州最大級のコンサル元日本代表に学ぶ。自社の強みを進化させ、時代の先を行く方法とは

KYOTO Innovation Studio Session【Vol.10】

記事更新日: 2024/11/29

執筆: 宮林有紀

KYOTO Innovation Studioでは、京都市内外の多様な「知」を持つ方を招き、「京都でイノベーションを加速させる」ことをテーマに、トークセッションや動画配信など様々な活動を行っている。

参考:KYOTO Innovation Studio 公式HP

第10回目のセッションとなる今回は、京都オスカークラブ、オスカー YOUTH、京都商工会議所、京都商工会議所青年部、公益財団法人京都高度技術研究所の5機関共同による「京都リレーションシップ2024」内で開催された。京都市都市経営戦略アドバイザーの入山章栄氏がファシリテーターを務め、テーマは『世界に突き抜ける京都企業へ ~「小さな巨人」に学ぶ 世界を変える新たな価値創造の方法~』だ。

ここでいう「小さな巨人」とは、Forbes JAPANが実施している「スモール・ジャイアンツ」プロジェクト(創業10年以上で売上高100億円未満ながら、ユニークなプロダクトやサービスを生み出す企業の発掘プロジェクト)で各賞を受賞した企業のこと。

参考:Forbes JAPAN | SMALL GIANTS 〜ニッポンが誇る「小さな大企業」が未来を切り拓く〜

グローバルに影響力を持ちながら、地域への貢献など社会に対して新たな価値を提示している企業が受賞しており、登壇者のミツフジ株式会社 代表取締役社長 三寺 歩氏は2018年に大賞およびカッティングエッジ賞を、株式会社由紀精密 代表取締役 大坪 正人氏は2019年にパイオニア賞を受賞した。

もう1人の登壇者、きづきアーキテクト株式会社 Founder/取締役会長 長島 聡氏は当該プロジェクトの「スモール・ジャイアンツイノベーター」として活躍されている。また、欧州最大級の戦略系コンサルティングファームであるローランド・ベルガーの日本法人代表取締役社長を務めた経歴があり、多くの起業家を支援してきた実績を持つ人物だ。

オーディエンスである京都市内の中小企業の経営者等に向け、登壇者自らがそれぞれ直面した難問やそこから得られた学び、また多くの中小企業が直面する課題の1つである「事業承継」などについてもリアルな体験談が語られたセッションをレポートする。

京都でイノベーションが加速するために必要なのは「つながり」

入山 章栄氏

京都市都市経営戦略アドバイザー 入山 章栄氏

早稲田大学大学院経営管理研究科早稲田大学ビジネススクール(WBS)教授。慶應義塾大学院経済学研究科修士課程修了後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院より博士号を取得し、同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授。

WBS准教授を経て、2019年に現職へ。「世界標準の経営理論」(ダイヤモンド社)等の著書のほか、メディアでも活発な情報発信を行っている。

 入山:「京都を観光都市としてだけでなく、新しいビジネスが生まれる産業都市としてさらに成長発展させたい」という京都市職員の方の話を聞き、京都市都市経営戦略アドバイザーを務めさせていただくこととなりました。

そして、2022年にビジネス都市としての京都の魅力の発信と、京都のイノベーションを加速させていくことを目的としたコミュニティプラットフォーム「KYOTO Innovation Studio」を京都市と共に立ち上げ、これまでに様々な方をゲストにお迎えしてセッションを行ってきました。

「KYOTO Innovation Studio」では、京都が京都以外の都市や世界などの『外とつながること』、京都の『中でつながること』に取り組んでいます。

なぜかというと、別々の場所にある知見や人材が組み合わさった時にイノベーションが起こるからです。

たとえば、自社の人材のみと接していると別の視点からの考察が難しく、自社の技術によりできることに限界が生じ、イノベーションが起こりにくくなりますが、自社以外の人と話す機会があると予想外のアイデアがでたり、他社の技術と組み合わせることでイノベーションを起こせます。

京都は過去にたくさんのイノベーションを生んだことで世界に誇る歴史・文化をつくってきた都市で、素晴らしいポテンシャルがあるのに、今は京都以外の都市とのつながりが弱く、イノベーションが起きにくい状態になっているのではないかと考えています。

くわえて、京都の中でもつながりが不足していて、スタートアップと大企業のつながりが少なかったり、芸術・大学と産業がつながる場も少ないと感じます。

「KYOTO Innovation Studio」はただセッションを聞くだけでなく、京都の外の人とつながったり、京都の中の人同士がつながる場所です。

過去には、あのスティーブジョブズが京都に来ていたのに、観光だけして帰ってしまいましたが、その時に京都の人と話す機会があってつながりができれば、イノベーションや投資の機会が生まれた可能性もあったんですよね。

そのような機会を「KYOTO Innovation Studio」でつくっていきたいと思っています。

【事業承継の成功例1】西陣織からウェアラブルIoTへ転換!挑戦者スピリット×最新テクノロジーで進化し続ける「ミツフジ株式会社」 代表取締役社長 三寺 歩氏

三寺 歩氏

ミツフジ株式会社 代表取締役社長 三寺 歩(みてら あゆむ)氏

1977年生まれ。現在ミツフジ株式会社代表取締役社長。

立命館大学を卒業後、パナソニックやシスコシステムズなどでの勤務を経て2014年に倒産寸前の実家の繊維会社を継承。

銀めっき導電性繊維を用いたウェアラブルIoT製品「hamon」を開発し、建設業界、医療、スポーツ、法人分野などに展開。

伝統産業から最新技術の企業への転換に挑戦中。

ミツフジ株式会社公式HP:ミツフジ株式会社

 三寺:私は家業を継ぐ気がなく、大学卒業後に松下電器で営業をしたり、シスコなどの外資系企業で働いていましたが、2012年頃に「うちの会社が潰れそうだ」と父から連絡があり「自分がなんとかするしかない」と思い始め、2014年から代表取締役を務めています。

ミツフジは1956年創業、今は従業員27名の会社です。

創業者の祖父は西陣織の職人をしていましたが、父の代で伝統産業の下請けで戦っていくのは厳しいと判断し、父がアメリカで銀めっき繊維(見た目は糸だが金属の特性を保持)を見つけ、英語が喋れないのに必死に頑張って契約を取り日本での販売を始めました。

入山「伝統産業の強さ」から「技能の強さ」で勝負する企業へシフトチェンジしたんですね。

三寺:1980~90年代の抗菌ブームだった頃、AGposs(エージーポス)という銀めっき繊維を使った抗菌靴下を大手アパレルメーカーなどと一緒につくっていましたが、抗菌分野は法律が緩やかなこともあり、その後100円ショップでも抗菌靴下が売られるようになりました。

ミツフジの商品は1足約1,500円で販売していたので、価格競争で勝つのは難しくなり、そこで父が私に連絡してきたんです。

跡を継いだ私は、ウェアラブルIoTの分野に進出しました。

AGpossには抗菌作用だけでなく、導電性という機能もあるからです。

導電性のあるAGpossをつかって体の様々なデータが取れることで従業員の健康管理ができる衣類を開発しましたが、健康管理したい経営層には受け入れてもらえても、現場からは「毎日洗濯するのが大変だ」という真逆の意見が出てきました。

経営層の感覚と現場とで大きなギャップがあったんですよね。

そんな経緯があり、もっと使いやすいものとしてリストバンドとスマートウォッチを開発したらうまくいき、今は売り上げの約7割が『hamon band』です。

画像出典元:ミツフジ株式会社公式HP

三寺:ミツフジは繊維の会社としてスタートし、今は「見守りができるスマートウォッチ」を売る会社になりました。

入山:時代に合わせてうまく方向転換できたことが、成功した理由ですね。

長島:経営層と現場のギャップは、ものづくりをしていてよくぶつかる壁です。

現場に受け入れられることがもっとも重要なので、現場に合わせて改善されたところが素晴らしいと思いました。

 大坪:過去には大手企業を好む人が多かったのですが、今は少し違うと感じているので、今後は三寺さんのような大企業に勤めていた子供が跡を継ぐケースが増えていくかもしれませんね。

アトツギベンチャー(ベンチャー型事業承継:若手後継者(アトツギ)が世代交代を機に、先代から受け継ぐ有形・無形の経営資源を活用し、新規事業、業態転換、新市場参入など、新たな領域に挑戦すること)といった取組も始まっています。

参考:一般社団法人ベンチャー型事業承継について

入山:三寺さんが一番苦労したのは、どの部分ですか?

三寺:繊維からスマートウォッチに変更するのはとても難しかったですね。

技術的にはもちろんのこと、社内の賛同が得られず「Apple Watch が売れてるから、社長は流行に乗ったんだ…恥ずかしい」という雰囲気でした(笑)

社員に納得してもらうための説明に時間を要しましたし、他には資金面でも非常に苦労しました。

【事業承継の成功例2】ねじ工場が航空宇宙分野に進出!常に挑戦・本質を見極めることで絶対的な価値を追求する「由紀ホールディングス株式会社/株式会社由紀精密」 代表取締役 大坪 正人氏

大坪 正人氏

由紀ホールディングス株式会社/株式会社由紀精密 代表取締役 大坪 正人(おおつぼ まさと)氏

東京大学大学院を終了後、株式会社インクス(現ソライズ)に入社。

2006年祖父が創業した由紀精密に入社、研究開発型町工場として航空宇宙業界へ進出。

JIS Q 9100の取得、経済産業省IT経営力大賞受賞など、高付加価値なものづくりに特化した経営戦略に力を入れる。

2017年、要素技術を持つ中小企業を支援する由紀ホールディングス株式会社を創業。

2020年、一般社団法人ファクトリーサイエンティスト協会代表理事就任。

由紀ホールディングス公式HP:由紀ホールディングス

 
大坪:私はネジ屋から始まった会社の3代目です。

金属加工の会社なので公衆電話の部品を主につくっていましたが、需要がなくなって光ファイバーの分野に入り、そこでもコモディティ化で価格が下落して仕事がなくなっていきました。

その頃に私が入社して航空分野に進出したものの、今度はコロナショックで航空系の受注が約3年間ゼロになり、絶対安全な分野はないのだと改めて感じましたね。

その一方で、宇宙系も平行して進めていたので、今は航空宇宙系が売上の約50%を占めています。

宇宙分野で現在つくっているのは、主に小型衛星の部品です。

画像出典元:由紀精密公式HP

私達が製造に関わった11機ほどの小型衛星が今飛んでいますが、多摩美術大学の先生が考案したARTSAT:衛星芸術プロジェクト(アート的なサテライト)にも関わっています。

参考:ARTSAT

また、先日上場したアストロスケール(宇宙のゴミ掃除をしている会社)の資本業務提携先第一号が由紀精密です。

2017年に「ものづくり企業全体に伝われば良いのではないかと考えて、日本の製造業の優れた要素技術を展開していこう」という考えのもと由紀ホールディングスを立ち上げ、現在は約10社を運営しています。

由紀ホールディングスでは、ファンクションを集約しており、たとえば、事業戦略を担当する人を1人おいて、その人が各社の戦略を考えるような仕組みです。

由紀精密を親から受け継いだ時は売上高1億円で従業員十数人の会社でしたが、10年間で約5倍に伸ばし、由紀ホールディングスをつくって50億規模になり、そこから3年間でM&Aなしで93億円くらいにしました。

次は、売上最大の会社を売却後、再び開発に専念しました。

売上を伸ばしすぎたために運転資金が圧倒的に足りなくなり、一度売却して開発に力を入れようと思ったからです。

運転資金が足りないなら、売上をそのまま維持する又は下げるという方法もあるとはいえ、それも会社のためにならないですよね。

もっと伸びる会社だったので、資金が潤沢なグループに譲渡し、今もその会社は順調に伸びています。

現在の由紀ホールディングスは宇宙、核融合などのエネルギー分野、超電導に絞って、そこでイノベーションを起こすことを目標にして取り組んでいます。超電導では、世界で最も細い超電導線を開発し、世界の学会で発表して売り込んでいるところです。

長島:私は由紀ホールディングスの社外取締役ですが、大坪さんは意思決定が信じられないぐらい早いんですよ。

また、ホームページもよくできていて、「問い合わせしてみよう」と思わせる吸引力があります。

入山:大坪さんは跡を継いですぐの頃に、当時の事業とはまったく関係ない航空系の展示会に出展したんですよね。

 大坪:「航空の部品はつくってないけれど、うちのサンプルを展示会で並べたらどういう反応があるんだろう」と思い、マーケティングの一環として試してみたら、たまたま通路の反対側が三菱リージョナルジェットさんの場所でした。

そうすると、「この部品は飛行機の部品に違いない」とお客さんが勘違いしてくれて(笑)、そこからコネクションができて、今は航空系のさまざまな部品をつくっています。

入山:この話はすごく重要です。

まったく違う分野の展示会に行ったり、出展してみると、イノベーションを起こす『知の探索』ができます。

遠くにある違う分野の技術や人を「見つける」とイノベーションが起こる、と先ほど話しましたが、「見つけてもらう」ことも重要です。

特に中小企業は大手企業と違って見つけてもらいにくいので、展示会はとても効果的ですね。

また、会社のビジョンを社員に伝えることにも注力したと聞きました。

 大坪:社員の意識改革をしたかったのですが、ただ言うだけでは通じないので、週に1回の頻度でプレゼンして、毎回違う資料を何枚も準備しました。

あとは自分ばかりが話すと悪い意味のトップダウンになってしまうと思い、現場のリーダーから職員に伝えてもらうこともあります。

この取組は継続してますが、さすがに毎週は無理なので、今は月に1回程度です。

イノベーションの源『知と知の組み合わせ』を行い日本に新たな価値を生み出す「きづきアーキテクト株式会社」 Founder / 取締役会長 長島聡氏

長島 聡氏

きづきアーキテクト株式会社 Founder / 取締役会長 長島 聡 (ながしま さとし)氏

工学博士。

早稲田大学理工学部助手を経て、ローランド・ベルガーに入社。

同社の日本代表、グローバル共同代表を経て、2020年7月きづきアーキテクトを創業後、現在に至る。

由紀ホールディングス社外取締役、FS協会理事、慶應大学大学院SDM特任教授、エイシング社外取締役、エクサウィザーズ・アドバイザー、ソミックトランスフォーメーション社外取締役、

リンカーズ社外取締役、UTECベンチャーパートナー、グリーンイノベーションWG3産業構造転換分野委員、Digital Architecture Design Centerアドバイザリーボード、NEDO技術員等を兼務。

きづきアーキテクト株式会社公式HP:Kiduki Architect


長島
: この会社に込めた思いは「気付きをたくさん築きたい」ということです。

きづき=アートなど別の分野にこんなものがあったのか。そうしたきづきをアーキテクト=築いていく、たくさん作りたいということです。

私自身は自然科学者をしていた時期(約10年)もあり、材料工学の博士課程を持っています。

他には、考古学者の吉村作治さんがエジプトで掘ってきたものを私が分析して、2人で共著論文を書いたこともありました。

昔から”ちょっと離れた変なこと”が舞い込んできてそれについつい手を出してしまう、といったことをやっていました。

その後ローランド・ベルガーの日本代表を約25年間務め、営業、マーケット、技術者の間に翻訳者のように入っていかにつなげるかなど、部門をまたぐ仕事を主にしていて、手がけたプロジェクトは約600個です。

コロナ禍直前には、グローバルの経営を任される立場になっていましたが、現場に出たい思いが強くなったのがきっかけでローランド・ベルガーを辞め、京都できづきアーキテクトを始めました。

「新しい価値・賑わい・新規事業を量産する」という事業内容で、今まで知り合ったことがない人たちをつなげる仕事ですね。

全く今までにないことをやってみる。

入山:まさに新結合ですね。

長島:たとえば「遠隔操作できるツールをつかって外出困難者の仕事をつくる」というプロジェクトをしています。

令和5年度の瀬戸内産業芸術祭で行ったのは、「分散型オープンファクトリー」です。

参考:令和5年度 将来にわたって旅⾏者を惹きつける地域・⽇本の新たなレガシー形成事業 検討結果

工場見学者のために工場にアートを持ち込んで、ものづくりのメカニズムを表現する作品を飾り、工場内を映えスポットだらけにしました。

こういった取組には、求職者からの応募数が増える、従業員が誇りをもって働ける、SNSでの拡散による認知度アップ、賑わいができるなどたくさんのメリットがあります。

入山:大坪さんは長島さんのことをよく知っていらっしゃるかと思いますが、どんな方なんですか?

大坪:(いい意味で)変態的な人。想像の上のことを言ってくれるような人ですね。

三寺:以前の仕事も充実していた中、わざわざ京都で新しい挑戦をした理由や特別なきっかけがあったのでしょうか。

長島:京都に憧れていたんです。東京でビルに囲まれた生活をしていて、24時間ずっと電気がついているような環境から離れたくなったんですよね。

それで、京都を選びました。

画像出典元:きづきアーキテクト株式会社公式HP

人をつなげる事業にした理由は、ベルガーの日本法人社長時代につくった仲間企業の人が自分にはないものをもっていて、そんな人達の掛け算が面白かったからです。

グローバル企業の代表をしてると自由に動くのは難しい場面もあるので、「京都に行って自分でやろう!」と思いました。

今はとても楽しい毎日を過ごせています。

世界に突き抜ける企業になるために

入山ここでもう少し深い話を。今この会場にいらっしゃるのは歴史の長い企業の方々が多く、また日本には中堅企業が多い中、どのような課題や飛躍するポイントがあるのでしょうか?

長島「新しいことに目を向けるための時間をつくること」ではないでしょうか。

取引を増やしたり工場運営などは、誰もが得意ですぐできることです。

しかし、あえてそういったことは別の人に任せて、新しい世界に触れる時間をつくらないと未来がひらけません。

 大坪:私は新しいことをしなきゃと思ったのは背水の陣的な考えもありましたが、新しい接点 「人」や「産業」に触れていくことが大事だと思っています。また、

情報発信もすごく大事ですよね。発信することで、興味のある人や全然知らない人と初めてつながれます。

三寺:東京でずっと暮らしていたので都市と地方では収入より”意識の格差”のほうが大きいと感じていて、「田舎で勝負してもどうせ負けるから無理だ」といったマインドの人が私の周りには多く、「こんな小さな会社が世界に挑戦するのは恥ずかしい」と言っている人もいました。

しかし、夢を語るのはタダだし、もっと志を高くもって堂々と挑戦してよいと思います。

長島:そうですよね、挑戦の起点になるのは、他の世界の人と会うことです。

入山:ゴーゴーカレーの宮守さんの『発想力は移動距離に比例する』という言葉の通りで、イノベーションを起こす人はたくさん移動してますよね。

「知の探索」は自分の狭い認知を越えていくことだから、一番手っ取り早いのは自分自身を物理的に遠くに移動させることなんです。

優れた経営者やイノベーターの最大の特徴はめちゃめちゃ移動するということ。

お三方もすごく知の探索をされてますよね。

三寺:10月はインドとアメリカに行っていましたね。

大坪:私はできれば日本の中だけで生きていきたい人だったのですが、やっぱり海外進出しないとダメだと思い 2015年にフランス子会社「YUKI Précision SAS」を設立し、年間5〜6回は海外に行っています。

また、新しいビジネスを最初に出す展示会は、国内ではなく海外です。

時計ならスイス、オーディオならドイツ、といったように 最初からグローバルを基本としています。

長島:私は海外に頻繁に行っていて30カ国以上行きましたが、コロナの時から国内の魅力に取り憑かれ、沖縄と北海道以外はほぼすべて行きました。 

入山:地方の企業に「もう東京は見ないでください」とよく言っていて、今は デジタルの時代でどこの地域ともすぐつながれるからです。

東京ではなく、いきなり世界に出てしまっても良いでしょう。

実際に世界に飛び出した中小企業が出てきていて、スモール・ジャイアントもそういった会社が選ばれています。

質疑応答

【質問】世界に飛び出すことによる不確実性を京都企業は受け入れられるのか?

大坪:うちは常に変化し続けていて安定性はあまり考えていません。

もともと不確実性が高い会社で、私が跡を継いでからはさらに不確実性を高める方向に動いています。

ただし、「生産は日本でやりたい」と思っていて、事業そのものは不確実性を気にせずに進み、製造は安定した日本で行う、というやり方です。

長島世界に出ることはもちろんですが、それ以上に「つながる企業の経営者の質を見極められるか」のほうが重要です。

私が経営者をみる時は「リスペクトしてくれるのか」「志があるか」で、これらがないと思った企業とは取引しません。

三寺:京都では従来にはない新しいベンチャーがでてきても、長い歴史があるので揺らがないんですよね。

それぐらい京都の歴史は強く、海外とつながったことで不確実性が高くなるとは限らないので、海外にどんどん出ていっても大丈夫なのではないでしょうか。

【質問】いろいろな場所に出かけていきたいものの、任せられるスタッフがいない。社員の採用や教育はどうすれば良いのか?

大坪ゴールに向かう時の価値観が同じ人をみつけることが大切です。

価値観が違う人に任せると、自分がいない時に向かいたい方向とは逆の選択をされる可能性が上がりますよね。

例えば、協力会社へのリスペクトもないとうまく取引できないので、そこも確認しています。

長島:こちらから「ありがとう」と言っていくことも忘れてはなりません。

上の立場の人が「ありがとう」と言う習慣があるとないとで、社員の実力が倍くらいが変わってきます。

三寺:うちのような小さい会社は新卒の方が少なく、大半は中途の方です。

大きい会社出身の人で「小さい会社で働いてあげてる」「俺はどこどこの課長だった」と言う方もいました。

経歴やスキルも重要な条件ですが、私は「文化が合うか」「うちの会社を好きで一緒に頑張ろうと思ってくれるか」のほうが大事だと約10年採用活動をしてきて思います。

入山:日本は企業文化の形成が苦手なんですよね。

Googleのように企業文化を意図的につくり、同じ価値観の人が多くなる環境にすると良いでしょう。

たとえば、積極的にチャレンジする企業にしたいなら、失敗した人がいても絶対怒らないという「行動」で企業のカルチャーをつくっていかないといけません。

そして、チャレンジした人を昇進させたり、チャレンジできる人材を採用する、これで経営者と同じ価値観の人が多くなり、自分が留守にしても安心して任せられます。

中小企業は人数が少ない分、企業文化をつくりやすいので、ぜひ取り組んでみてください。

【質問】事業承継する際に気を付けることは?

大坪:先代がやってきたことへのリスペクト、働いてくれる人へのリスペクト、商品へのリスペクトが大切です。

「先代がしてきたことを破壊して新しいものをつくる」よりも「自社商品の良さを再確認して、みんなで話し合って、さらに魅力を足してブラッシュアップする」という方向が良いのではないでしょうか。

私の場合は「先代がネジをつくっていたことを馬鹿にするのではなく、こんなに素晴らしいものがすでにできてるので、さらに良くしよう」という姿勢で取り組んでいて、これだとなにか障害があっても乗り越えられると思います。

三寺:私は父親とすごく喧嘩をしていた時期がありましたが、親の人生そのものを否定していたと気づき反省し、そこを変えたらうまくいきました。

家業を全否定せず、なおかつ何かを変えなくてはいけないので、家業と自分らしさを掛け算できると「自分らしい家業」をつくれるのではないかと思います

入山:それでは、時間となりましたので、これで終わりにいたします。

今回のセッションが皆様の気づきや ヒントになったら嬉しいと思っています。

ご清聴ありがとうございました。

 

KYOTO Innovation StudioではSessionにて生まれたアイディアをプロジェクトとして実装していく取り組みを行なっています。さらに、京都市内外での繋がりを広げていくために交流会やコミュニケーションプラットフォームを運営しております。

本記事に関連して、本プロジェクトへのご質問がある方はHPお問い合わせ先までご連絡いただけますと幸いです。

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宮林有紀

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