TOP > インタビュー一覧 > 小さな実験を繰り返し自信をつけることが大事!山本氏(Chatwork創業者)が語る起業家のセカンドキャリア|失敗経験を成功に結びつける方法&くじけないマインドの保ち方
TOKYO Re:STARTERコミュニティイベント第1回
TOKYO Re:STARTERとは、起業経験者の再チャレンジを支援して、「何度でも挑戦できるTOKYO」を目指す東京都の事業である。
TOKYO RE:STARTER コミュニティでは、先輩起業家の経験を深掘りするトークセッションや起業経験者の採用に積極的な企業とつながるイベントを定期的に開催する予定だ。
第1回目のイベントセッションでは、ファシリテーターをプロトスター株式会社代表取締役CEO 前川英麿が務め、日本エンジェル投資家協会 代表理事 / Power Angels CEO 山本敏行氏(Chatwork創業者)が創業までの道のりや成功までの過程を語った。
また、セッション後には、清水建設株式会社NOVARE ベンチャービジネスユニット アクセラレーショングループ グループコンダクター 加藤大輔氏と、株式会社NearMe代表取締役CEO 髙原幸一郎氏による起業経験者に向けたリバースピッチが行われた。
みなが驚くほどの山本氏の失敗を昇華しチャレンジし続けてきた人生の変遷をレポートする。
【登壇者】
日本エンジェル投資家協会 代表理事 / Power Angels CEO 山本敏行氏(Chatwork創業者)
昭和54年3月21日、大阪府寝屋川市生まれ。中央大学在学中の2000年、留学先のLAでEC studio(後にChatworkへ社名変更)を創業。
2012年に米国法人をシリコンバレーに設立し、5年間経営した後に帰国。
上場1年前にChatworkのCEOを弟に譲り、2019年東証グロースへ550億円超の時価総額で上場。
現在はエンジェル投資家コミュニティの「Power Angels」に注力している。
著書に「エンジェル投資家 実践バイブル」がある。
プロトスター株式会社代表取締役CEO 前川英麿
早稲田大学卒業後、エヌ・アイ・エフSMBCベンチャーズ(現大和企業投資)に入社。
シードからレイターまで幅広いフェーズ、領域の企業への投資育成に関与。
その後、常駐の事業支援に特化したフロンティア・ターンアラウンドに入社。
地方における小売、製薬、メーカー等の経営再生に従事。
15年2月よりスローガン株式会社に参画。
投資事業責任者としてSlogan COENT LLPを設立し20社以上の企業に投資を実行。
その後、16年12月に起業家支援インフラを創るべくプロトスター株式会社を設立。
他にネイティブ株式会社社外取締役、株式会社サイトビジット社外監査役など複数社の経営に関与。
このページの目次
前川:本日はChatwork創業者である山本敏行氏の人生変遷グラフに沿ってお話を聞いていきます。
前川:初めてビジネスに関わったのはいつ頃ですか?
山本:高校生の時は月に20万円ほど稼いでいました。
インターネットに出会い、メルカリのような掲示板を見て、似たようなことを自分ひとりでいろいろとやっていましたが、お小遣い稼ぎをしている感覚でしたね。
ここまで稼げる高校生は滅多にいないので、「大人顔負けの高校生」だと周囲には思われていたようです。
初めての起業はアメリカ留学中の大学3年生の時で、事業内容は企業HPのアクセス数を増やすための支援や集客を行うサービスです。
前川:自然な流れで起業されたんですね。
山本:いえ、もともとは親の会社に入りたくなくて、跡継ぎの道を絶つための手段が起業でした。
前川:起業した後は、すぐにうまくいきましたか?
山本:恥ずかしいほどたくさん失敗してきました。
たとえば、アメリカ留学中には毎日約10万通のメールを様々な日本企業に送りまくっていたのですが(笑)、翌日には1,000通のクレームがきて、大学生だった当時はメンタル的にかなりきつかったです。
日本では23時〜翌朝8時のみインターネットが使い放題だった時代(テレホーダイ)で、アメリカでは24時間ずっと無料で使えたので有効活用するために行った施策でした。
そんな失敗体験を通じて、「じゃあ、どうすればクレームを減らせるか?」を考えて試行錯誤したことが自分の成長や成功体験につながりましたね。
起業や再起業を考えてる人に知ってほしいのは、『倒産しない程度のチャレンジだったら、迷わずやったほうが良い』ということ。
致命傷になるような挑戦は慎重になるべきですが、それ以外は全部やったほうが良いです。
山本敏行氏
前川:「リスクがあっても、それ以上のリターンが得られるんだったら挑戦する」というマインドは、最初からありましたか?
山本:最初はありませんでしたが、行動しながら少しずつ成功体験が積み重なっていき、挑戦を諦めないマインドに変わっていきました。
大学を卒業する頃には事業の売上が約100万円/月になったのに、親には認めてもらえず、親の会社に入らざるを得なくなりました。
親の会社に入ってからも事業を続け、2つの仕事を同時に行う毎日です。
事業運営にかけられる時間が大幅に少なく、しかも正社員を雇わせてもらえませんでした。
ただ、こういう制限があったからこそ、Chatworkが生まれたんですよね。
リモートでしか活動ができず、業務効率を上げざるを得ない状況を経験したおかげで、「Chatworkのようなサービスがあると便利では?」という発想に至りました。
最初から自由に仕事ができていたら、Chatworkをつくりたいと思わなかったでしょう。
起業を考えているみなさんも、資金やスキルがないなどの制限があると思いますが、悪いことばかりではありません。
壁になっているものが、実は宝の山の可能性があるので、ビジネスチャンスだと考えましょう。
前川英麿
山本:親の会社で働いて2年半が経った頃、親の会社と自分の会社の同時進行だと、両方ともダメになると思い大きな決断をしました。
それは、命を絶つか、親の会社を継がないか、という二択。
ここまで追い詰められた理由は、親から毎日最低3時間の説教をされて、最長の説教は36時間だったからです。
まさに、人生のどん底の1つですね。
そこで、「どうせいつか死ぬんだったら、親の会社を継がないと言ってみよう」と思えて実行したら、受け入れてもらえました。
事業だけに集中できる環境になったので、リモートで働いていた人を大阪に集めて2004年に法人化しましたが、体育会系マネジメントが原因で社員がどんどん辞めていったんです。
僕は半分しか稼働できない時期があったので、24時間仕事がしたかったんです。
当時25歳で、他のメンバーも同年代だったので、同じ感覚だと思っていたら、バタバタ倒れて辞めていくわけですよ。
創業メンバー5人中の3人が辞め、ITの会社なのに唯一のデザイナーが辞めて何も表現できない会社になってしまいました。
前川:そこからどう復活されたんですか?なかなか思想は変えられないですよね。
山本:社員への待遇は良くなかったものの、売上は上がっていて、だったら「課題は従業員が減っていくことだけ」です。
離職を減らせばすべてうまくいくと思い、一年間かけて徹底的に経営を学びました。
残った社員に「1年後に絶対に改善して帰ってくるから信じてくれ」と伝え、朝6時から経営の集まりに行ったり、昼は研修を受けて夜は経営者の懇親会に出て、そして夜中は課題を必死に頑張って、睡眠時間が3時間くらいの日々でしたね。
なんでもそうですが、ちゃんとした基礎や適切なコーチがいないと一流になれないんですよね。
そして、1人だけから学ぶと思考や知識が偏って良くないと思ったので、さまざまな経営者のやり方をつまみ、それらを咀嚼して自分の中に落とし込み、かつ自分の会社で実践してみました。
その結果、従業員満足度が2年連続1位の企業に成長して、テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」で社員満足度ナンバーワン企業として特集されました。
がんばった甲斐があって、売上はどんどん上がり、本の執筆依頼やテレビの出演依頼、講演依頼が多くなりましたが、アウトプットばかりの毎日に飽きてしまったんです。
30歳の頃、「こんなアウトプットばかりの人生はダメだ」と思い、シリコンバレーに挑戦することを決めました。
日本をITで良くすることが自分のミッションだという想いからです。
「一企業として儲けることだけでなく、日本を良くするためには何かしないといけない」と思った時、『原因自分論』を思い出しました。
原因自分論とは、「起きた問題や出来事に対して他人のせいにするのではなく、自分に原因があると考え、自らの思考や行動を変える」という考え方です。
その頃Googleがどんどん進出してきていましたが、「同じようなサービスをIT大手がやらないのだったら、俺がやるしかない」という決意をしてシリコンバレーに行きました。
山本:当時アメリカでは無料でつかえるサービスがでてきていて、利用量が一定ラインを超えると課金が必要になる仕組みです。
日本では未だに「無料期間は30日でそれ以降は有料」というサービスが多いのですが、世界基準で戦っていくためにはずっと無料で使えるフリーミアムモデルでないといけません。
最初に目をつけたのは、Googleアナリティクスです。
Googleアナリティクスは多機能なせいか使いこなせる人がほとんどおらず、「分析は経営者にとって非常に重要なのに使いこなせないサービスしかないのは良くない」と思い、日本の中小企業の社長でも使えるアクセス解析サービスをつくりました。
これは、「Googleアナリティクス以上のサービスをつくってGoogleに勝つ!」という試みで、これまでの事業がうまくいってるので戦えると思っていたんですよね。
それで、料金設定もGoogleアナリティクスと同じ「月間500万PVまで無料」にしました。
デザイン、コンセプト、マーケティング、開発まですべて良いプロダクトだったのですが、このプライシングが大失敗でした。
顧客には500万PVいく中小企業がほとんどいなかったからです。
「無料ではつかってもらえても課金するユーザーがいない」ということにリリースしてから気づき、2年半から3年かけて約10億円かけたプロジェクトなのに月に数万円しか稼げない状況でした。
前川:それはどう乗り越えたんですか?
山本:財務ボロボロでそのプロジェクトからは撤退することを決め、社内のムードも最悪でしたが、当時CTOだった弟がChatworkみたいなものをつくりたいと言ってきたんです。
弟は「社内コミュニケーションで使っているSkypeは使いにくいから、新しいサービスをつくりたい。最悪、社内ユースでも良いと思う」と言っていて、僕もSkypeには不便を感じていたので、やってみようと思いました。
実は、Skypeジャパンの社長が「Skype本社は法人向けサービスはしないと思う」と話していたので、「それならうちが狙える分野だ」と思ったことも関係しています。
ただ、会社がつぶれたら困るので、コストを最小限に抑えるためにエンジニア1人とデザイナー1人だけでChatworkの開発を始めました。
前川:順調に進みましたか?
山本:いえ、Chatwork事業単体では上場するまでの9〜10年間は赤字でした。
それでもVCから資金調達をせずに続けていましたが、Slackなど後発のサービスが増えて、それらは何十億〜何百億円もかけていたので、自分達も資金調達する道を考え始めました。
しかし、当時Slackは一部のエンジニアだけがつかっている状況で、そこまで危機感はありませんでした。
その後、Evernoteの『ワークチャット』がリリースするというニュースを見て「このままだと負ける」と足がガクガク振るえるほどの恐怖感をもち、VCから資金調達することを決めました。
1回目は3億円、2回目は15億円を調達しました。
山本:僕は日本のIT企業が世界で戦えるようにすることに全人生を賭けてシリコンバレーに行っていたので、目標はChatworkを上場させることではありません。
だから、上場ではなく日本発のIT企業が世界で戦えることを目指していましたが、MicrosoftがTeamsを出してから雲行きが変わってきました。
MicrosoftはTeamsを無料提供していて、僕らがターゲットにしているのは保守的な人ですが、保守的な人は大手の無料サービスを選ぶ傾向があります。
その時に「日本発の自分のプロダクトがMicrosoftの無料サービスに果たして勝てるのだろうか?」と考えました。
Slackに対しては「いくらでも戦ってやるぜ」という考えがあったのに対し、Microsoftと比較した場合はまず勝ち目がないと思い、世界を目指す挑戦はもう少し後に再チャレンジすることを決めました。
当時の僕が考えたのは、Chatworkをアメリカの会社に売って、僕がその中でアメリカの経営を学んでから2回目のチャレンジを成功させる作戦です。
それを実行したところ、M&Aをもちかけた企業との取引がまとまりかけていましたが、結局は話が頓挫してしまいました。
次の手として、当時日本が力を入れていた地方創生にチャレンジしたら成功しました。
想像以上にうまくいき、上場を待つだけの状態になりましたが、「自分の人生はこのままで良いのだろうか」と思ったのがきっかけで、Chatworkを弟に譲ることを決めました。
前川:そのタイミングでのCEO退任は驚きです。
山本:いざ契約書を読んだら、社長を退任する条件に「保有するChatworkの株を1円で譲ること」と書いてあり、翌年の上場時には約400億円の価値になる株を1円で譲る条件が付けられていました。
理由を聞いたところ、僕が退任したらVCが資金を引き揚げると言っていたようです。
しかし、僕は退任すると決めていたので、15分ぐらい考えて、弟に1円で譲ることを決めました。
僕は他の人が理解できない意思決定をする傾向があるんです(笑)
山本:結構こう見えて超がつくほどの慎重派で、石橋の表も裏も叩いてから渡るタイプです。
ただ、同時に渡ろうとしてる橋がいくつもあります。
だから全部の橋を上から下から叩いて、「いける!いこう!」と思った時に前に進む感じです。
「とにかくアクションをたくさん!そして意思決定は早く!」を意識していました。
あとは自分を信じる!
富士山の登頂がビジョンだとすると、このルートがダメなら違うルートを探せば良いだけで、頂上を見続けて進むことが大切です。
僕は「それは無理でしょう」と言われながらも、やり続けていたら、だんだん周りが「おー!すごい!」になっていきました。
高校生の頃は評価されなかった僕ですが、卒業後10年経って高校の同窓会に行ったら「お前は当時から他の人とは違った」と褒められたんですよね。
その体験があるので、「無理でしょう」といくら周囲に言われても「今はまだ理解されなくても良い」と自分を信じて前を向いて進みます。
山本:顧客とのやり取りはすべてメールだったので、日中は社員に任せておいて、社員が答えられないメールは自分が答える感じで、1日1回答えれば良い仕組みをつくっておきました。
とにかく効率化して時間を確保していましたね。
前川:不安はなかったのですか?
山本:不安とか言ってられなかったですね。
親の会社と兼務していたときは自殺するか、自分の会社をとことんやり抜くかのどちらかだったので、死ぬことを考えたら、経営で起こるような問題は何も怖くなかったです。
起業に向いている人の条件は、不安に耐えられることです。
会社員に向いている人の条件は、不満に耐えられること。
「上司や人間関係への不満に耐えられるなら会社員をすれば良いし、不安に耐えられるなら起業家を選べば良い」起業するか悩んでる人には、いつもこう言っています。
山本:「失敗経験がない人=チャレンジしてない人」なので、失敗する可能性があったとしてもチャレンジしなければ、成功できません。
松下幸之助さんは「諦めなかったら失敗ではない」と言っていますし、エジソンは「1,000回失敗したら、成功するためにうまくいかない方法を1,000個発見したんだ」と言っています。
コップに半分水があって、もう半分しかないと思う人と、まだ半分あるから何ができるかなと思う人の2種類がありますが、後者は陽転思考です。
まだ半分あると思えれば前向きに考えられるし、失敗した時も成功への過程だと思えるでしょう。
また、ずっとITばかりやっていた僕が、美容の実店舗を10個だしたところ、大失敗したこともあります。
失敗体験を通じて、自分の強みを生かすことが大事なのだと気づきました。
自分の強みがわからない場合は、周りの人に「私の強みはなんだと思う?」と聞いてみると良いでしょう。
山本:きっかけは小さい失敗の積み重ねです。
アメリカから10万通メールを送った件では、いきなり10万通送ったのではなく、何百通か送ってみて反応をみる実験をしていました。
このように小さな実験を繰り返すやり方なら大丈夫です。
とにかくアクションを起こすことが大切で、リターンは小さくても良いので動いてみる。
そうすると、なにかしらの学びが必ずあります。
もちろん傷ができるかもしれませんが、いずれ治ります。
いきなり首の骨を折るような大きなチャレンジでなければ大丈夫でしょう。
僕から見ると、そういう大きすぎるチャレンジをする起業家が多いと感じます。
野球を始めたばかりの少年野球のバッターがいきなりメジャーリーガーの投げた球をホームラン打とうとしてるようなものです。
大谷翔平ですら、小学生から野球やって何十万回も打席に立って、ようやくホームランが打てるようになったんです。
起業も同じなので、素振りや練習をしないといけません。
僕は格闘技をしていましたが、敵は相手ではなく自分でした。
相手が練習しなかったり、メンタルの調子が悪かったりすると弱くなることがあるので、今でもライバルや競合企業を意識するのではなく、昨日の自分に勝つことを意識しています。
山本:社会貢献をしたくて起業する人が増えていますが、そのマインドが強すぎると稼ぐことに頭がいかず、事業を継続できません。
どんな企業でも儲けは必要なので、最初は稼ぐことが目的でも良いのでしょう。
しかし、儲けるためだけの企業には誰もついてこないので、社員を雇う段階になったら理念やビジョンが必要になります。
僕も起業1年目はこれで失敗し、2年目に経営者の先輩達から学びを得て変わりました。
その時によく聞いたのは、「ダメな経営者の共通点は自社の社員の愚痴を言うこと」です。
うまくいってる経営者は、社員のことを絶対に悪く言いません。
僕も社員を大切にするレベルのさらに上である『社員第一主義』にすると決めました。
前川:山本さんのこれからの目標や挑戦を教えていただけますか。
山本:僕は逆張り派なんです。
パソコンが流行り始めて、みんながワードエクセルをやり始めたら、僕はやらない。
なぜなら、みんなと同じことをするとレッドオーシャンで戦わないといけないからです。
レッドオーシャンは大変な割にトップと差がつかない。
みんながやらないことをやれば、まずライバルがいないので成功しやすいです。
しかし、それだけでは不十分で、みんなが「やりたいけどやれないこと」「良いと気づいてないもの」を見つけないといけません。
今でもワードエクセルを触らないのですが、みんなができるから自分はやらなくて良いと思っていて、そういう人を採用すれば良いだけです。
必要な人材を採用すれば、スキルがなくても成功できるのが経営者の良さです。
サラリーマンだったら自分ができるようにならないと評価されませんが、経営者は引きつける力さえあれば良いので、リーダーシップを身に付けていくこと、プレゼンテーション能力を身につけることに注力してきました。
そんな視点で今後を考えた時、スタートアップの起業家支援はすでにレッドオーシャンだったので除外し、一方でスタートアップに必要な資金を提供するエンジェル投資家の支援はほぼ誰もやっていないことに気づきました。
スタートアップにおけるエンジェル投資はお金を出すだけではほとんどの投資が失敗しまうことに着目しました。
お金だけではなくマーケティングやマネジメントや財務などが支援できるエンジェル投資家(パワーエンジェル投資家)を増やす必要があると考え、経営者やCXO、専門家(士業や経営コンサルタント)をエンジェル投資家にしていく活動に力を入れています。
自分ひとりで投資するより、パワーエンジェル投資家の数を増やし、スタートアップとマッチングさせたほうが何倍も何十倍も大きな成果を出せることも決め手の1つです。
現在は200人以上のパワーエンジェル投資家と100社以上の投資先があります。
その中で、今年1社、来年3社が上場しますが、目標は、毎年10社以上上場させることです。
そうすれば、毎年上場する企業は約100社なので、そのうちの1割以上を生み出していると言えます。
こんな未来を想像しています。
これからの起業で重要なのは、法律やルールの改正を視野に入れること。
LUUPの成功事例は、ルールを変えたからできたことです。
既存の法律の中で戦うと、大企業と戦わないといけないのでレッドオーシャンです。
レッドオーシャンに飛び込んでもしんどいだけなので、やりたい業界の中で古い法律やルールで規制されていることを探しましょう。
「できない」と思わず、「どうやったらできる?」を考えないといけません。
富士山の登頂が目標なら、道を探す(従来の方法)だけでなく、"タケコプター(法改正など新しい方法)"があれば富士山の頂上まで行ける可能性が高くなります。
これからのスタートアップは『ルール改正×自分の事業』です。
最後にお伝えしたいのは、とにかく打席に立ち続けて欲しいということ。
僕は成功率1割に満たないので、プロ野球だったらクビですが、起業だったら大丈夫です。
だから、とにかく座席に立つ。
そして諦めずに振り続ける。
ファールになってもアウトになっても、それも次のホームランにつながる貴重な体験です。
「こういう球をこう打つとアウトになるんだ」と分析して自分の成長に活かしましょう。
それが蓄積すると、同じ場面がきた時に「こうすれば良い」と即答できるようになります。
本日はありがとうございました!!(拍手)
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