成長を続けるアインホールディングスが乗り越えた困難と、そこから見えた企業における"個人の在り方"

成長を続けるアインホールディングスが乗り越えた困難と、そこから見えた企業における"個人の在り方"

株式会社アインホールディングス 代表取締役専務 首藤正一氏

記事更新日: 2019/03/11

執筆: 編集部

2000年代に入り、リーマンショックや大きな震災などの影響もあり、景気動向が大きく変動する中で、18年連続で増収を続けているというアインホールディングス。

現在では調剤薬局事業やコスメ&ドラッグストアのリテール事業を中心に全国展開する企業であり、調剤薬局の分野でトップシェアを誇る。

しかし、その道程は決して順風満帆なものではなかった。

自身が起業家であり投資家でもある、プロトスター株式会社表取締役COO・山口豪志氏が、アインホールディングス 代表取締役専務・首藤正一氏に、上場前後の苦労や、時代の変化を乗り切ってきたエピソードを聞いた。

● 株式会社アインホールディングス 代表取締役専務 首藤正一
1982年株式会社第一臨床検査センター(旭川市、現アインホールディングス)入社。同グループ内の複数社で代表取締役社長などを歴任した後、2012年アインホールディングス 専務取締役就任。2015年代表取締役専務就任、開発統括管掌。

上場後にメインバンクが破綻…困難を乗り越え調剤薬局の分野へ本格展開

山口:日本において、起業家は多くいますが、上場経験のある人は2000人程度しかいないはずで、しかも実際に18年増収を続けているというのは、稀有な存在だと思います。

首藤さんは、長くアインホールディングスの経営にも携わってこられました。まず、上場前後に苦慮されたことや、それを乗り越えたプロセスについてお聞きしたいです。

首藤:上場するにあたってまず必要だったのが会社の成長戦略です。

投資を受けるために、どんな成長戦略を描き、それが現実可能であるかを示す必要があった。ただ、実現可能なものだけを提示しても、面白味はなく、投資してはいただけない。

成長戦略をどこまで現実に近付けながら、同時に将来ビジョンを語れるか、そして、それを数字に表せるかが一番難しかったです。嘘を書くわけにはいかないですし。

ー IPOはかなり初期から考えておられたんですか?

社長の大谷(代表取締役社長・大谷喜一氏)はずっと考えていたようです。

一方、我々はIPOの知識はなく、上場会社が上場後にどうなっていくのかという想像もできない状態だった。

アインホールディングス自体の創業は1981年ですが、存続会社は1969年か大谷の伯父がやっていた、受託臨床検査をメイン事業とする第一臨床検査センターという会社です。

また、実際の大谷の起業は、1980年、28歳のときに始めた薬局であり、当時から「上場する」ということを話していた。

IPOありきで、「それがゴールじゃない」と言い続けながら、「日本一を目指す」と取り組んできました。

私が入社したのは、会社が設立され、実際に動き出した82年です。

ー そこから12年かけて上場されるわけですが、1997年に相次いで銀行が破綻した時に、御社のメインバンクも潰れてしまったそうですね。その時はどのようにケアして、行動したのですか?

メインバンクが破綻する予兆はあり、「いろいろ危ないんじゃないか?」などいろいろと言われていた。ただ、実際に潰れるなんて思ってないなかったわけで。

現実化したときに「不採算事業をなんとかしよう」と動きました。

1994年に店頭公開し、資金調達はできたものの、薬局の出店や新規事業など事業の多角化に使っていた。その新規事業が、ほぼうまくいかず赤字という状態でした。


ー 上場したての会社の"あるある"かもしれませんね(笑)

まとまった資金が手に入ると、新規事業をやりたくてしようがないじゃないですか? それで、小売に積極的に取り組んだ。

店頭公開した時のメイン事業は臨床検査で、ドラッグストアはサブだった。臨床検査は営業をかけてもなかなか急には伸びないのに対して、ドラッグストアは、資金を使えば売上を簡単に伸ばせる可能性がある

ただ、調剤薬局も出店が難しく、ドラッグストアを中心にしても大きな事業の柱にはならない。

そこで、ドラッグストアの延長としてホームセンターに進出しました。そこで手応えを感じ、「だったら家電も」となり、家電量販店にも進出。

上新電機(株)と合弁企業をつくって、札幌で家電量販店を展開した。

ー 薬局から始まって、一気に小売のプロになろうとしたんですね。

しかし、売上は上がっていくが大赤字。やり方が分からないから、プロをスカウトして入ってもらったけれどうまくいかない。

結局その赤字を出しながら、事業を拡大している最中にメインバンクが潰れてしまった。当時、借入が約27億円だった銀行です。

ー 銀行が潰れてしまったら、「すぐ返せ」ということになるんですよね?

メインバンクがなくなって、最初の引き受け先の銀行は決まったのですが、債権は引き受けてもらえない。そのまま債権が宙に浮き、「このままでは会社が潰れる」となった時に、北海道銀行(現・ほくほく銀行)が引き受けてくれて、なんとか乗り越えることができた。

ー 当時の会社の時価総額はいくらだったのですか?

97年の時価総額は、41億円。

ー 時価総額41億円で27億円の規模はなかなか引き受け難いですよね。

しかも赤字部門ばかりです。今でもよく引き受けてくださったと思います。

厳しい状況でしたが、大谷社長の若さや情熱で、なんとか続けられた。そこから一気に不採算部門を整理していきました。4期連続赤字の期間です。

大型店舗を展開するも、思わぬ落とし穴で累積赤字に

ー 世の中は、ITバブルですごく景気が良い時期というのも面白いですね。その後、全国展開を進めることになると思うのですが、何から着手されたのですか?

まず、臨床検査や調剤薬局の営業をしていた営業担当者が、本州戦略として東北を拠点に動き始めます。

北海道以外の調剤薬局1店舗目は山形でした。山形を選んだというよりは、ツテを頼っていき、最初に出店できたのがそこだった。

同時期に、東京の西新宿にも大きな薬局を構えた。大学病院の前にある店舗で、開業したのが1996年。

「大学病院の医薬分業が進む」という話で出店したのですが、結局進まず、しばらく処方箋が出てこない状況に陥ってしまった。

病院からの分業がなければ調剤薬局はただの箱です。その1店舗だけで、4年間の累積赤字が14億円にまでなりました。

ー なぜ、やめなかったんですか?4年もずっと赤字を垂れ流してたら、普通はやめると思うのですが。

当時は、医薬分業が進んでいたので、「いずれは分業されるだろう」という予測はあった。もう、死ぬ寸前でしたが(笑)。

メインバンクが潰れた後であり、決算説明会では株主たちから「いつやめるんだ」「どうなるんだ」と毎回指摘をされていました。

ー その批判に対してどのように説明して、どう乗り切ったのですか。

「いや、いずれ処方箋は出るんだ」「いや、来年にはきちっと出る」と繰り返していました。説明するのは社長の大谷ですが。

最終的には、99年にようやく分業となり、処方箋を受けられるようになった。

ー すごい胆力ですね。

「調剤薬局市場が伸びる」という思いもありました。薬局のある場所も最高の立地だったので、絶対なんとかなると信じ、それだけは放さなかった。

一方で、家電量販店は閉め、ホームセンターは売却しました。1998年には、メインであった臨床検査も大手に売却することになります。

ー では、いわゆる手残り事業はほぼない状態ですね。

残ったのは調剤薬局とドラッグストア。実際に西新宿以外の調剤薬局の売上は伸びていた。他で利益を上げながら、もう耐えるしかなかった。

西新宿の薬局も、1999年からは一気に回復して、現在では年間30億円を売り上げる、グループ最大の薬局になっています。


ー 今後の展開や、強化していこうとしている分野はあるのでしょうか。

メインの調剤薬局は、行政の方針にも左右される。よって、調剤薬局の事業に頼りきらないように、原点に戻って小売を強化しているところです。

長年続けてきていてドラッグストアは、赤字の時もありましたが、今は大きく改善してきています。

ー 今、ドラッグストアは当たり前にある小売の業態の一つになっている。スーパーマーケットでもコンビニエンスストアでもなく、なぜドラッグストアで、そのベネフィットは何なのでしょうか。

ドラッグストアは、私たちの創業ビジネスでもあり、薬や化粧品の取り扱いがあるため、粗利率も高い

その中でさらに我々は、化粧品に特化した女性のためのコスメ&ドラッグストアを都市部で展開しています。いわゆるドラッグストアとも異なり、大きく差別化をはかることで20~30代の女性の支持をいただいている。

実際に化粧品市場は世界的にみても伸びているので、チャンスは大きいと感じています。

"私利私欲がないトップ"と会社を大きくしていこうという創業メンバーの思い

ー 言い方はよくないかもしれませんが、上場したらちやほやもされるし、個人的にお金もそこそこ入る。そうなると、「自分のやりたいこと」に目が向いたり、気が向く人も少なくないと思うのですが、なぜ、会社の事業を支えるような動きを、ずっと続けることができたのでしょう。

例えば上場したIT系企業だと、ある程度時価総額が上がったら売って違う事業へという動きがあると思います。

しかし、大谷にはそんな思いが一切なかった。一緒に創業したメンバーと、この会社を大きくしていこうという思いが大きい。

本当は大谷も売り逃げした方が楽だったかもしれない。でも、一緒にやってる仲間たちがいる。

ボードメンバーには身内を入れていないし、身内に継がせる気もない。社長の持ち株も、現在は10%以下です。

財務体質も万全で、今までで460億円の資金調達を実施しています。

ー 首藤さん以外のメンバーの入れ替わりはあったのですか。

創業当初のメンバーはほとんどいます。

ー すごい。なぜ、そんなにチームが強固なんでしょう。

それはやはりトップである大谷の思いがあるからだと思います。私利私欲が一切ない。

ー 私利私欲がないことを、人に伝えるのは、とても難しいですよね。

行動で見せるしかないでしょう。「利益を会社や社員たちのために使ってくれている」というのが身近は分かります。多くの社員が感じていると思います。


ー ただ、会社が長く続いていけば、いつかはトップもいなくなる。その時の舵取りはどのように考えるべきでしょうか。

そこが一番難しい点かもしれない。カリスマ的な経営者を継ぐわけですから。

だからこそ、誰か1人にすべて託すような体制ではなく、社内でも様々な人の視点が働くようにしています。

ー 私利私欲がないというのは、僕も大事だと思うのですが、会社にいる人間のモチベーションは結構バラバラじゃないですか? だから、どういう思想思考を持つと、私利私欲がないというか、ある種全体を見ながら経営ができる人間が育つのか。

社長を見ていて感じることはありますか?生まれ持った才能なのでしょうか。個人的には、後天的な何かであってほしいなと思うのですが。

まず「究極の負けず嫌い」で。大谷は中学生の頃から「社長になりたい」「会社を起こしたい」と言っていたそうです。

実家が漁業の網元で、儲かっているのが卸売業者であったりするのを目の当たりにして「苦労して漁している父の会社が、どうして儲からないんだ?」と思ったのがきっかけだったと聞いています。

大学では医学部目指して、最終的には薬剤師に。「会社を興すのであれば薬剤師」という考えがあったそうです。

起業した時、たった5人ぐらいでしたが、「日本一になるぞ」という話をしている。聞いている我々は、「なんで、どこで日本一になるんだ?」と思っていた(笑)。

だけど大谷は本気なんですよね。本気で「日本一だ、日本一だ」と。

臨床検査や小売など紆余曲折を経て、これから伸びていくであろう調剤薬局の分野にたどり着いたのです。

ー タイミングも良かったのですね。

1994年に店頭公開した時、医薬の分業率は20パーセントもなく、市場は1兆円規模。これから分業が進むことを考えれば、「この業界で一番になれる」可能性があった。

小売をやってきた立場からすると、競合も少ない業界だったのです。

ー では「他で揉まれた分、新しい市場に入り込んで一番を取れた」とも言えますね。

そうですね。外でもまれて、金融でもまれて(笑)。

ー 山口:例えば、もう一度20代やり直せるとしたら、社長ともう一回やりたいですか?

もちろん。おもしろいから(笑)。

会社が大きくなっても最後は人がその価値を左右する

ー 一緒に仕事をするメンバーの話で、新卒採用や中途採用、仲間集めについては、どのように考えて取り組んでいますか。

採用はやはり薬剤師が中心です。

毎年、1万人弱の薬剤師候補が大学から出てくるのですが、同業の調剤薬局企業だけではなく、ドラッグストアも採用では競合になるので競争は厳しい。

弊社は、毎年300人前後を採用していて、日本でも一番の規模です。

今、調剤の市場は8兆円規模になっています。弊社は3千億円弱の売上うち、調剤が2,500億円程で、3%弱のシェア。だからまだまだ伸び代もある。

ー マーケットにおいて1位でもまだ切り開いていくのですね。

シェア3%で一番ですから、面白い業界なんです。

この20年ぐらいで急激に伸びた市場なので、これから集約していく段階でもあります。

分業率もまだ70%でこれから伸びる可能性があり、市場自体も大きいので、M&Aによる業界再編の可能性も出てくる。

ー アインホールディングスと競合他社との違いはどこにあるのでしょうか。

前述の通り、財務体質がしっかりしている点と、やはりトップのカリスマ性でしょうか。

よってM&Aで売り手の大半が、まず弊社に来てくれます。結局、会社がどんなに大きくなっても、最後はやはり人なのだと思います。

ー 例えば、これからスタートアップ企業に入ろうとしている若者がいるとして、どうすればいい社長を選べるでしょう。

難しい質問ですね(笑)。私がこの会社入った時も、こうなるとは分からなかった。運かな。

ー 先ほど言った、「人間って、後天的にどこまで変われるのか」みたいな話で、20代の時は、結構柔軟だったと思うけれど、年重ねると柔軟性を失って、「自分の経験がこうだったからこうかな」と思うこと増える。

何歳ぐらいまで軌道修正できるのかという思いや、若い人が会社に入るなら、うまくいくためにも良い社長の元で仕事してほしいという思いがあります。

40、50代になったら変わらないでしょうね、やはり。

20代30代は、一緒にやる人によってどうにでも変われると思います。私自身がそうだったから。

とにかく大谷からは、「会社の金と、会社の女性に手を出すなよ」とずっと言われていた(笑)。

今の会社は8割が女性ですし、女性幹部も多い。セクハラなんてもってのほか。そもそも大谷はそういうことが大嫌いです。


ー 最後に若手起業家やこれから新しく事業をやる人向けてのメッセージをお願いします。

会社を本当に大きくしたいのであれば、中心に身内を入れないということでしょうか。

そういった目に見える体制づくりが、社員の心情にも影響を与える。「自分もがんばればポジションがあるし、社長にだってなれるかもしれない」と思って働いてくれる。大谷はそれをずっと実践してきた。

もう一つは、自身を含めて「トップが真面目にやること」。誠実で素直であること。

疑心暗鬼にとらわれないで、例えば上司からアドバイスをもらったら素直に聞いてやってみる。それで、駄目だったら一緒に反省する。「いやあ、もう駄目でした。社長、ごめんなさい」と(笑)。

ー 4年間で14億の赤字は、俺は嫌だって思っちゃいますけどね。

前述の西新宿の調剤薬局では、送り出すときに社長は、「10億までは我慢するから」と言ってくれた。14億になった時には、私は不整脈になって大変な思いをしましたけれど(笑)。

そこまでクビにはならずに、真剣に仕事できる環境って本当にありがたいと思っています。

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