2019年にIPOしたChatwork。
Slackと並ぶ2大ビジネスチャットツールとして、日本のSaaSベンチャーの草分け的な存在となった。
今回取材したのは、そんなChatworkの山本正喜氏。
創業時から開発に携わっており、現在は体調不良で辞任した兄の山本敏行氏に代わり、代表取締役CEO兼CTOとして活躍している。
いかにして「Chatwork」というツールが開発されたのか。
またそれに伴いどのように会社が変化していったのか、お話を伺った。
プロフィール
山本正喜
「Chatworkは今でこそビジネスチャットツールの会社として知られていますが、もともとは検索エンジン事業から始まったんですよ」
当時、大学生であった敏行氏は、ロサンゼルスに留学していた。
「テレビを見ていると、○○ドットコムといった名前の会社のCMがたくさん流れていたそうなんです。
それを見て、アメリカにいながらも何かがしたいとくすぶっていた兄が見よう見まねでHPを立ち上げたところ、まったくアクセスがありませんでした」
普通ならここで諦めそうなものだが、敏行氏はチャンスととらえた。
サイトの集客支援にニーズを感じ、それに役立つ情報サイトを立ち上げると、瞬く間に人気サイトとなった。
これを事業化した。
主要事業として検索エンジンの登録代行事業をしながら、他にもHP作成やバナー立ち上げなどにも事業を拡大していくにつれ、敏行氏一人では限界を感じるようになった。
そこで声をかけたのが、弟の正喜氏だった。
「当時、大学でプログラミングを学んでいたので、エンジニアとして入りました。
検索エンジン系のツールを10個以上作りましたね」
その後、正式に起業。社員は30人ほどとなった。
主要事業である集客支援はGoogleの影響で限界を感じ、アクセス解析ソフトに事業転換。
しかしこれが失敗してしまう。
「3年間進めてみたものの、サーバー費用と同じくらいにしか収益は伸びませんでした。
泣く泣く事業をクローズすることとなり、社内にもプロダクトで勝つのは無理だ、という思いが広がっていきました」
その後、プロダクト開発をやめ、ITコンサル事業へと転換。
当時、アクセス解析事業の責任者として携わっていた正喜氏はクローズの処理に追われながらも、残されたエンジニアたちのことを考えていた。
「彼らのために何かやりたいなという思いがずっとありました。
そこで生まれたのがChatworkです」
当時、代表である敏行氏は海外で働いていた。
敏行氏と日本にいる社員がやり取りをするためには、Skypeなどのチャットツールが欠かせない。
しかし、2Cのツールとして開発されたSkypeには、パソコンと携帯電話でログが分散する、検索ができない、などの課題がありビジネスには不向きだった。
正喜氏はビジネス専用のチャットツールなら、事業として成功すると踏んだ。
「それまでチャットは5秒おきに読み込みされるような不便なものでした。
しかし2009年に技術革新が起こり、リアルタイムでのチャットが可能になったのです。
ちょうど技術的にも先行できるタイミングでした。
しかし、役員やスタッフ全員から大反対されましたね」
『自分たちではプロダクトの開発で勝てない』という思いが蔓延している中、正喜氏は社員一人一人を説得して回った。
最終的に開発の許可は下りたものの、好きなことをさせてやるのだからと、正喜氏一人で取り組むことになった。
しかし正喜氏は設計とコーディングはできるものの、デザインはできない。
そこで社内のデザイナーを口説き、引き入れた。
チャットにタスク機能が付いたビジネス専門のチャットツール「Chatwork」は3か月で開発された。
さらに完璧なものにするため、正喜氏がとった方法はかなり強引なものだった。
「当時使っていたSkypeのすべてのチャットに『終了』とコメントし、Chatworkへと変更させました。
もちろんクレームも起きましたけど、そこは無視しました(笑)」
開発したてのChatworkは読み込みも遅く、頻繁にバグが発生した。
社員の実際の声を聴きながら、正喜氏らは毎日Chatworkのバージョンアップに取り組んだ。
自分たちの声が必ずすぐに反映されることに気づいた社員は、積極的に追加要望をするようになった。
強制変更して3か月、社内ではSkypeよりもいいと評価されるまでになった。
「会社では当時、Ustreamを通じて週に1回ITツールを紹介していました。
ネタも尽きてきたころに自社ツールとしてChatworkを紹介すると、めちゃくちゃ『利用したい』というコメントが寄せられて。
それをみて代表も、事業化を認めてくれましたね」
こうしてChatworkは事業化。
チームには4人入り、管理機能や決済機能が加えられた。
2か月で改善を終え、2011年3月にリリース。
開発からわずか9か月という驚異的な速さだった。
しかしそこからの道のりも決して順調ではなかった。
当時は社内SNSのYammerが主流となっており、チャットはむしろ時代遅れの伝達手段だったのだ。
営業しても「今更チャットなんて」という反応ばかり。
しかし、2011年6月、転機が訪れる。
「突如LINEが現れ、急速に広まっていったのです。
個人向けチャットアプリがどんどん普及する中で、『ビジネスでも使えないか』と気づいたシリコンバレー企業が、2014年ごろから動き出しました」
Chatworkも急速に成長していく中で、圧倒的な資本力を持ったスタートアップがどんどん参入してくる。
完成度も高い。
Slackもその一つだ。
3年以上先行しているのに、このままでは追いつかれる。
「それまでのポリシーは『100%自己資本、黒字経営』でした。
しかしChatworkが伸びていく中で、どんどん改善点も出てきて、エンジニアやマーケティングのための費用が増えていきました。
事業としてはずっと赤字の状態でしたね。
競合が追いついてきそうな中で、僕たちも勝負に出ることに決めました。
VCから調達することにしたのです」
さまざまなVCから声をかけられる中、GMOベンチャーパートナーズから調達。
約15年間、スモールビジネスを続けてきた会社はようやくスタートアップとなった。
しかし、それによって課題も現れた。
カルチャーの転換だ。
「これまではスモールビジネスだったので従業員満足度を最も大事にしていました。
しかし『プロダクトで世界を変える』という新たな目的が生まれたため、新たなカルチャーを生む必要があります。
採用も積極的にするようになり、文化の違うメンバーがどんどん入社してきました」
そして実際に衝突が起こり始めた。
戦略を立てるのが得意な社員が入社。
彼に事業を全面的に任せた結果、もともとの「人を大事にする文化」と彼の「数字を重視する文化」がぶつかってしまったのだ。
それにより、他のメンバーは彼からそっぽを向いてしまった。
「それまで30人前後でまわしていたのが、60人、90人と増えていくにつれてもともとの経営陣だけではわからないことが増えてきました。
そのため他社から新しく採用した優秀な社員にむしろ教えてもらおうとしていたんです。
しかし、それでは必ず衝突が生まれていました」
それから経営陣は社員にかなりコミットするようになった。
他社から新しく入る社員の考え方を聞き、経営陣がChatworkに適した形で考えを仕組化。
会議や資金調達の仕方、決済基準の整理、評価制度の組み立て方を学び、作っていった。
最も大きな変化をもたらしたのが経営会議の整備だ。
初めは月次戦略会議としてマネージャーに事業報告を行わせたが、ただの共有会と化し、意思決定は行われなかった。
現在は経営陣が週3回経営会議を行っており、そのうちの1回は監査役などが入ったもの、残りの2回は経営会議の悩み出しを行い、何度も意思決定できる場となっている。
これにより実のある議論が進められるようになった。
また、さまざまな整備に伴い、あらゆる情報を可視化するようになった。
それまでの会議ではうまくいっているかどうかを社員が主観で判断しており、不毛な議論が発生していた。
そこでKGI、KPI、MAUなどの数字で見える情報を社員全員で共有。
社員の思い込みを排除できるだけでなく、役職関係なく客観的な意見を言えるようになったことで、社員の自走化が進んだ。
正喜氏はこれまでを振り返り、カルチャーがとても重要だったと話す。
「人が少ないと社長自体が価値観となるのですが、50人を超えると社長と接しない人も増えてくる。
そのとき、カルチャーを明文化する必要があると思います。
例えば大学には部活とサークルがありますよね。
おそらく多くの学生は部活は本気で勝利を目指すところ、サークルは楽しむところだと認識して、どちらかを選んでいるのではないでしょうか。
会社でも自社はどのようなカルチャーなのかを認識させる必要があります。
そうでないと、入社した人が異なるカルチャーを持ち込んで衝突が生まれてしまいます」
だからこそ、正喜氏は代表取締役CEO兼CTOに就任したのち、ミッションのアップデートに取り組んだ。
▲Chatworkのミッション
「ミッションという一つの軸ができると、社員全員が共通の価値観で仕事に取り組めるようになります。
50人以上のフェーズではミッションやビジョン、バリューの整理がかなり重要になると思いますね」
スモールビジネスから注目スタートアップへと成長を遂げ、それに合わせて会社も変化させていったChatwork。
創業当時から支えてきた正喜氏は力強く、そう語った。
画像出展:Pixaboy、Chatworkホームページ
山口出身。一橋大学商学部に所属。記者・インタビュアーを目指している。
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