ランサーズは社員30~50人の壁をどう乗り越えた|創業メンバー 秋好聡

ランサーズは社員30~50人の壁をどう乗り越えた|創業メンバー 秋好聡

記事更新日: 2020/02/28

執筆: 大野琳華

2019年末、ついにマザーズ上場を果たしたランサーズ

フリーランスと企業をつなぐサービスで注目を集め、著名なベンチャー企業の一つとなった。

そんなランサーズを創業時から支えてきたのが、代表、秋好陽介氏の弟、秋好聡氏

2013~4年、社員30~50人の壁に立ち向かったランサーズはいかにしてその壁を乗り越えたのか。

当時の苦悩や社員との向き合い方について、聡氏に取材した。

プロフィール

秋好聡(あきよしさとし)

2008年4月に現・代表取締役社長CEO、秋好陽介氏と共に株式会社リート(現・ランサーズ株式会社)を創業。エンジニア未経験からランサーズサービスのすべての開発に携わる。その後、開発部副部長などを歴任し、現在はマネージャーとして全社のビジネス・会計などの業務基盤、決済基盤を支える傍ら、サービス開発チームのプロジェクトマネジメントや組織面を担当している。

伸び悩んだ創業時

「今が一番楽しいです。人も増えて、経験も重ねて、どんどん新しいことに挑戦できる。

創業時は本当に大変でした

そう話す聡氏。

創業時について聞くと、聡氏は立ち上がり、ホワイトボードにランサーズの歴史を書いていった。

フリーランスを活用するというアイデアは、代表がニフティで働いていたころに生まれたものでした。

大学時代にフリーランスとしてHP制作をしていた経験があったので、優秀なフリーランスがいることも肌で感じていました。

そのため、もっと彼らを活用できれば、という風に考えていたんですね。

しかし企画は通らず、9割の人にうまくいかないと言われたそうです」

その後、陽介氏はアイデアを実現すべく2008年に起業。聡氏を誘う。

「僕はそれまでバンドマンでした。そのバンドのHPを制作していたので誘ってきたのだと思います。

といっても代表は3か月ほどちょっと手伝ってもらうくらいの気持ちだったそうですが(笑) 

結局、今もこうして働いています」

しかし事業は簡単にはうまくいかなかった。

アルバイトとフリーランスを除けば、社員はたったの2人。

営業活動もあまりしておらず、会員数が伸び悩んだ。

転機が訪れたのは2011年。東日本大震災だ。

これをきっかけにノマドワークやテレワークが広まった。

フリーランスへの発注という考えにつながり、会員数は2012年の1年間でそれまでの2倍になった

社員数も徐々に増加。しかし、それによって課題も出てくるようになったのだ。

むかえた社員30~50人の壁

2013~4年ごろ、社員は30~50人となりました。

そのころから経営陣と社員に大きなギャップが生まれるようになったのです」

社員30~50人の壁。それまでは、代表が一人でマネジメントできていたのが、30~50人を超えると全社員をまとめきれなくなる。

「社員が増えた分、経営陣と社員の間で意思疎通ができなくなってきました

不満に思った社員が一気にやめていき、事実でないことを言われた時期もありました」

聡氏はそれを「やり方の問題」と話す。

創業者は想いと覚悟があって起業した分、仕事にこだわりが出てきます。

それゆえにまずは高い目標をおいてしまうんです。

現場はどんどん疲弊してしまいました。

しかし、代表もその痛みから学んでいき、スタンスを変えていきました

経営陣が腹を割って話し合う合宿を設けたり、感情をシェアをする場と議論をする場を分けたりすることで、コミュニケーションがスムーズにいくようになりました。

この流れでできた経営陣合宿は今も続いています。」

▲ホワイトボードの前で当時を回顧する聡氏。

一方で社員同士でも認識の齟齬が生まれてくる。

他部署からの依頼にプロダクト開発部署が取り組まないという事例がありました。

他部署はその理由がわからずやきもきするのですが、プロダクト開発部署からすると、その依頼をやって何の意味があるのかわからないんです。

プロダクト開発部署も、難しく時間がかかる仕事を抱えているので優先順位をつける必要がある。

でも他部署はそれを知らないんですよね。

依頼する側はその依頼によって何を検証したいのかを説明し、開発側は時間がかかる理由や取り組まない理由を説明していく必要があると感じました」

聡氏はこうした課題に取り組んでいく。

開発から人事へ

もともと聡氏は、創業時から社員30~50人の壁を迎える2014年ごろまで、開発責任者としてランサーズに貢献していた。

「2014年、僕が開発責任者だったころまでは、ただひたすらにプロダクトを作り続けるという段階でした。

そのため年々、作り続けた負債がたまっていました

その後、聡氏は開発責任者を退任。2人のCTOを迎え入れた。

1人目のCTOはマネジメントを改善。組織として成果を出すことを意識し、社員のモチベーション向上に取り組んだ。

2人目のCTOは技術面の課題を解決。インフラ面で効果を発揮し、サーバーレスポンスが2倍速くなり、サーバーの台数が半分に減った。

「職場環境の改善によってエンジニア達は働きやすくなりました。

彼らが開発体制や自分のやってる仕事について、自分から発信できるようになったんです。

それを他のメンバーも認知して興味を持つようになり、また良い方向に変わっていく。

そういうサイクルができるようになりました。

エンジニアの流出が防げるほか、採用もしやすくなりましたね」

開発責任者を退任したのち、聡氏は何をしたのか。

「創業時から勤めていた開発だけでなく、人事にも力を入れるようになりました。」

聡氏は、パーソネルアナリストの資格を取得。

人を5つの因子とストレスで数値化し、その人の思考行動を把握するFFS理論を応用した組織風土の分析やチーム分析から、最適編成のノウハウを身に付けた。

聡氏のチーム内では3か月に1回計測し、メンバー同士も互いのFFS数値を見られるようになっている。

これによってコミュニケーションがとれやすくなり、ストレスも減る。

「また他社の事例を聞いてeNPSを取り入れました。

従業員に職場の推奨度を聞き、数値化したものです。

これによって部署ごとに何が課題なのかがわかるようになりましたね。」

いずれも従業員の性格や想いを数値で見える化したシステムだ。

結果の振り返りや、何を導入すべきか判断する際にも、欠かせないという。

また聡氏が人事から開発に戻ることになった現在も、ランサーズは組織として成長を見せている。

どういった変化があったのか、ランサーズの制度について、資料を見せてもらえた。

「CommunicationやL-Cultureの部分を見るとわかるように、横のつながりをかなり大事にしています

自部署以外とも交流を深め、『チームランサーズ』を実現するためです。

社員のモチベーションを維持するために決騎会やMVP制度も導入しています。」

『チームランサーズ』には自分の部署だけ、チームだけ、といった視点ではなくランサーズ社を一つのチームとして見ることで、『社員全員が一丸となって高い目標を達成しよう』という想いが込められている。

「チームランサーズを支える文化として、『役職者も一般メンバーもあくまで担当役割が異なるだけである』という考えをメンバー全員が共有しています。

オープンフラットにメンバー同士がコミュニケーションをとっているのもランサーズらしさだと思いますね」

一生、代表についていく

コミュニケーションを重視し、社員と向き合ってきた聡氏。

しかし、彼には最も大事な役割が他にある。

「僕はずっと社内では八方美人でいました。

代表も代表と向き合う人も孤独にさせないためです

特に代表というのは孤独になりがちだ。

代表は入社した社員の人生を背負っている。

その分、社員が職場に不満を持った時、その矛先は代表へと向かう

「社員に不満があると気づいたとき、社長は他の会社の社長に相談しがちです。

しかし、それだと会社にいないことが増え、そのことでまた社員から不満が生まれる

だからこそ、社内で代表を孤独にしない存在が必要なのです」

聡氏は創業者でありながら、経営陣の一員ではない。

だからこそ、余裕をもって代表の味方でいることができる。

「僕は一生、代表についていくと決めています。

以前、彼のもとにランサーズを利用したフリーランスから手紙が届きました。

そこには、ランサーズのおかげで子供が遊んでいるのを見ながら働くことができていると、感謝の言葉がありました。

代表はその手紙を今でもパソコンに張っています。

すべての人を後押しするという想いを忘れないように。

その想いがあるからこそ、彼は絶対にあきらめないのです。

どれだけ矢面に立たされても、その分成長していきます。

今なお、それを感じる瞬間があります。

僕はそんな代表のファンなんです

 

大野琳華

この記事を書いたライター

大野琳華

山口出身。一橋大学商学部に所属。記者・インタビュアーを目指している。

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