タッキー退任・キンプリ脱退!ジャニーズ世代交代は失敗?組織論の観点からも考察

タッキー退任・キンプリ脱退!ジャニーズ世代交代は失敗?組織論の観点からも考察

記事更新日: 2022/11/21

執筆: 大山直美

連日報道を賑わせる「タッキー退社」「キンプリ脱退」のニュース

なぜ!?と後追い報道も過熱しており、理由や経緯を知りたいという方も多いですよね。

また一方で、ジャニーズを良く知らない方には「そもそも何を騒いでいるの?」と疑問だらけかもしれません。

そこで今回は、非ファンにもわかりやすく、ジャニーズ事務所とその退社騒動の内情を解説します。

また、絶大的トップ「ジャニー喜多川氏」の逝去後の経営体制の変化を、組織論の観点からも分析。

世代交代で変化した他企業の実例と共にビジネス的にも考察していきますので、ぜひご覧ください。

電撃発表の続くジャニーズ事務所

2022年11月より、盛んに報道されるジャニーズ事務所の退社ニュース

男性アイドル業界を牽引する巨大事務所に何が起きているのでしょうか?

タッキー副社長の退任

ジャニーズJr.時代から圧倒的な人気を誇り、かつては「タッキー&翼」として活躍した滝沢秀明氏

2018年に、ジャニーズ事務所の創設者ジャニー喜多川氏より、後継者として指名を受けました。

ジャニー氏は、演者かつ経営者のプレイングマネジャーとしての道も示していたそうですが、副社長に集中したいと潔く自らは表舞台から去り、その後3年9ヵ月、後輩の育成にまい進してきました。

一般的に、二代目経営陣は悪評が立ちがちですが、滝沢副社長は、元々スーパーアイドルであったにもかかわらず、丁寧・低姿勢に関係者への挨拶まわりや交渉などをこなすなどその手腕はかなり好評であったと言われています。

また近年人気の「SnowMan」「SixTONES」もデビューさせ、着実に実績も残していました。

そんなさなか、

「滝沢氏本人から退任したいとの意向を受けた」
「慰留したが、本人の決意を尊重し承認」

*2022年11月1日 事務所HPお知らせより

  
という発表が突然なされました。

また、公式発表内に本人のコメントはなし、退社理由に関しても一切の公表なしであったため、ファンならずとも「何が起きたの?」と衝撃が走ったのです。

キンプリ3人の脱退・退社

滝沢副社長の電撃退任から、わずか3日後、また衝撃のニュースが発表されました。

大人気の5人組アイドル「King&Prince」略してキンプリのうち3名が脱退・退社するというのです。

グループとしてだけでなく、ドラマや映画、バラエティなどでも各メンバーが多方面で活躍する、事務所きっての売れっ子であっただけに「なぜ」「もったいない」という声も多く聞かれたようです。

こちらの場合は、脱退メンバーのコメントが公式発表され、「海外へ挑戦するため」など、それぞれの理由が語られました(詳細は後述)。

また、退社しない残り2名は事務所に残り、キンプリの看板のまま活動していくと伝えられました。

ジャニーズ事務所の成り立ちと内情

では、そもそも彼らが所属する「ジャニーズ事務所」とは何なのでしょうか

『ジャニーさん』という名前は、アイドルに興味がなくても誰しも聞いたことがあるかと思います。

しかしながら、ジュリー派が...などと聞いても熱心なファンでないと理解しづらいのが現実です。

ここでは、その成り立ちや歴史、主要人物について、あらためて解説します。

ジャニーズの成り立ち

”ジャニーズ”事務所のはじまりは、実は『ジャニーズ』という名前の4人組アイドルが発端です。

1962年にジャニー喜多川氏がコーチを務めていた少年野球チームのメンバー4人から抜擢し、結成したというから驚きです。

そこから60年を経て、現在は、17グループ、約270名が在籍する日本最大の男性アイドル事務所となりました。

その歴史は長いですが、主な出来事を抜粋すると、以下のとおりです。

出来事 事務所の力
1971年 郷ひろみのスカウト*でジャニー氏の実力が評価される ★☆☆☆☆ 
1980年代 少年隊・光GENJIのブームでエンタメ界を席巻 ★★☆☆☆ 
1990年代前半 SMAPの爆発的人気で不動の地位に ★★☆☆ 
1990年代後半 TOKIO、V6、KinKi Kidsなど人気グループが複数誕生 ★★
2000年代 SMAP、嵐がオリンピックや国の式典関連に出演
"国民的"と呼ばれるように
★★★★

*のちにバーニングプロダクションへ移籍

ジャニー・メリー・ジュリー氏とは誰?

それでは、この巨大事務所を作り上げた「ジャニーさん」とは一体何者だったのでしょうか?

また、経営陣のメリー氏、ジュリー氏とは? そしてなぜ皆、カタカナ名を名乗るのでしょうか?

ここでは、ジャニーズ事務所のキーパーソンについてご紹介していきます。

ジャニー喜多川氏 <初代社長>
1931年~2019年(87歳没)

ロサンゼルス生まれの日系二世。本名は、ジョン・ヒロム・キタガワ。"ジャニー"は米国人から呼ばれる愛称からくる自称名
父親は高野山真言宗の僧侶。幼少時いったん日本に移住するが、第二次世界大戦終結後、子どもたちだけでロサンゼルスへ戻り、現地高校を卒業。
美空ひばりの育ての親・川田晴久のアメリカ公演を手伝ったことでステージ演出の知見を学ぶ。その後、米軍関係の仕事で再来日。仕事の傍ら進学し上智大学を卒業。以来日本に永住した。

<担当アイドル>V6・KinKi Kids・タッキー&翼・King&Princeなど

メリー喜多川氏 <副社長→名誉会長>
1966年~2021年(93歳没)

ジャニー喜多川氏の姉で同じく米国生まれの日系二世。本名は、藤島メリー泰子。メリーは米国籍の際のミドルネーム
内縁関係にあった作家の藤島泰輔氏との間に娘を出産。藤島氏の離婚成立後に結婚し藤島姓に。
ジャニー氏がジャニーズ事務所を興した後、経理や所属アイドルのスタイリストなどを手伝うようになる。ジャニー氏はタレントのプロデュースを担当、メリー氏は会社経営の全般を取り仕切る担当であった。

藤島ジュリー景子氏 <副社長→現社長>
1966年生まれ

メリー喜多川氏の長女。両親ともに日本人で日本産まれであるが、米国生まれでミドルネームを持つメリー氏の希望で、「藤島 ジュリー景子」と名付けられた。(戸籍上は "ジュリー景子"が名と推測される)
6歳から芸能活動をスタートし、3年B組金八先生などにも出演。米国の高校に留学した後、上智大学を卒業。大学卒業後はフジテレビに入社。その後、ジャニーズ事務所のスタイリストとして活動し事務所でのキャリアをスタートさせた。

<担当アイドル>嵐・TOKIO・関ジャニ∞・KAT-TUN・NEWS・Hey! Say! JUMPなど

ジャニーズ経営陣のカタカナ名には三者三様の理由があったのですね。

自らが表舞台に出ることはほとんどなく、徹底してプロデュース業に徹する喜多川一族の経営陣。

皆さん米国生まれや留学経験で英語力も高く、若い頃から芸能に関する知識も豊富であった点も、たった数十年で巨大事務所の成功をなし得た理由だったのかもしれません。

SMAP派の飯島氏は決別

圧倒的なプロデュース力と経営力で、ジャニーズ事務所を成長させた経営陣。

一枚岩でここまでこれたかというと決してそうではなく、過去にはSMAPの育ての親、飯島三智氏と決別してしまったのは有名な話です。

退社の理由は公にはなっていませんが、SMAPをスターに押し上げた手腕が評価され、次期経営陣の候補として名前が挙がるようになったことで、メリー氏・ジュリー氏との間に対立が生まれてしまったとも言われています。

退社後、飯島氏が元SMAPの3名とともに立ち上げた「新しい地図」も、近年露出が増え仕事も好調のようなので、さすがのプロデュース力を事務所外でも発揮しているようですね。

現社長はジュリー氏

ジャニー喜多川氏、メリー喜多川氏が相次いで逝去したため、実権を握るのは、ジャニー氏の姪である現社長の藤島ジュリー景子氏です。

ジュリー氏には、TOKIO、嵐、NEWS、KAT-TUN、Hey!Say!JUMPなどを担当した絶大な功績があり、そのプロデュース力は確かなものと思われます。

しかしながら、それらのグループメンバーも年齢が上がってきたため、新世代の若い人気グループ、またK-POPなどに押され気味の日本エンタメ会を勢いづけるグループを作ることが事務所としての課題となりました。

そこで、ジャニーイズムを継承し、今後の経営を拡大していくため、有能な後継者として指名されたのが副社長の滝沢秀明氏だったのです。

タッキー副社長の功績

それでは、滝沢秀明氏、タッキー副社長の具体的な仕事ぶりはどうだったのでしょうか

これまでの功績をまとめてみます。

写真解禁・SNS・ネット進出

ジャニーズはその肖像権ビジネスを守るため、事務所以外の媒体・ネット上への写真画像の掲載を、長らく頑なに拒んできました

しかしながら、時代の流れにあわせるべきだと、滝沢副社長の就任後には解禁

また、全面NGで遅れをとっていたSNS・Youtube戦略にも乗り出し、公式アカウントやチャンネルを続々と創設。

どのチャンネルも150万~300万人規模の登録者数を誇り、ファンとの新たな繋がりとビジネスチャンスを生み出しました。

海外進出

ジャニー喜多川氏のルーツが米国のショービジネスにあることもあり、滝沢氏は海外進出へも精力的でした。

実は、コロナ禍でなければ、活動休止前の嵐も、海外公演などを大々的に行うラストイヤーを予定していたそうですが、滝沢氏の戦略は「日本で売れて→海外」という既存のそれとは違いました。

「Travis Japan」というJr.最年長のグループを、ロサンゼルスへ留学させダンス大会などで実力をつけた後、アメリカの人気オーディション番組『America’s Got Talent』に出演して知名度を一気に獲得させたのです。

その結果、現地のレコード会社との契約に至り、正式デビュー。デビュー曲が米チャート5位に入る快挙を成し遂げました。

定年制の創設

滝沢氏は攻めだけではなく、ジャニーズ事務所のシステムそのものの見直しにも着手しました。

ジャニーズ事務所は、まずJr.という練習生の段階を経て、その後正式デビューとなるのが通例です。

しかしながら、デビューできるかどうかに基準があるわけではないので、実力はあっても声がかからず年齢を重ねてしまうJr.メンバーがいることも課題でした。

滝沢氏はそこに「22歳定年制度」を設け、後のキャリアについて選択肢が広がるよう配慮しました。

一般のビジネスの現場からみると、なるほど当たり前のことかな...とも思うのですが、これまでの慣習に縛られてきたジャニーズ事務所にとっては、滝沢氏の数々の判断は大改革であったのです。

退任・退社の理由は何なのか?

ここまで数々の功績を残しているのに、なぜ滝沢氏は退任となったのでしょうか。

また、人気絶頂のキンプリはなぜ脱退・退社の道を選んだのでしょうか。

滝沢氏は理由名言しないままTwitter開設

前述のとおり、退任の理由については、結局公式には発表されませんでした。(2022年11月現在)

しかしながら、退任発表から6日後の11月7日に突然、本人名義でTwitterを開設。2日でフォロワー数が200万人を超え大変話題になりました。

ただ、Twitter上でも、理由や何をするかは未だ名言せず、以下の文書をアップするのみでした。

 

「平等に与えられた未来という場所で 僕ら人間が夢を見るだけでなく掴む為に」
「一個人ではありますが、皆様引き続き宜しくお願いします」

というのは一種の決意表明のようにも見えます。

なお、Twitterの操作に慣れず、文書を逆さに投稿してしまった事も結果的に話題に繋がりました。

また、プロフィールには「冒険家」と記されており、新しいことをするため、という意図も汲み取れるかもしれません。

海外チャレンジへの道の難しさ

Travis Japanの海外成功を成し遂げたタッキー副社長。

現地レーベルとの交渉も自ら出向いて行い、やっとデビューまでこぎつけたのですが、デビュー後は、現社長のジュリー景子氏の管轄に変更されてしまいました。

また、キンプリを脱退する3人のコメントからも海外挑戦への苦悩が語られています。

岸優太「海外で活躍できるグループになるためには今のままでは到底無理だと感じるようになってきました」

平野紫耀「海外で活躍できるグループを目指してきましたが、自分の年齢と向き合ったときに、全力で取り組んだとしてももう遅いなと感じてしまい、目標を失い、今回の決断に至りました」

*ファンクラブ会員向けの公式発表より抜粋


海外進出しても、手柄が報われないことがある。また、海外進出するにはとても時間がかかるという現実を目の当たりにしたことで、自分たちのやり方で目標を目指そうという決断に至ったとも考察されます。

ジャニーさんを失ったことも原因?

滝沢氏は、ジャニー喜多川氏の英才教育を一番に受けてきた人物だとされてきました。

しかしながら、副社長に就任してからわずか半年後にジャニー氏は逝去。教えは十分に受けてきたとはいえ、新たな門出から早々に、道しるべ・相談役を失った重圧は想像に難くありません。

また、キンプリに然り、グループで長い年月活動すると、個人の方向性が変わってきて分裂の危機を迎えるグループが出てくるのはこれまでも珍しいことではありませんでした。

ただし、絶対的カリスマであるジャニー氏が居た頃は、社長という存在でありながらも、

「事務所の中で一番話しやすかった存在」
「とにかく何かあったらジャニーさんに相談でした」

*King&Prince 髙橋海人 フジテレビ小倉ベースでの発言


と、迷っている誰かの方向性を照らしてあげたり、グループとしてはその方向でいいんだよ、という安心感を与えられていたが過去のジャニーズでした。

一般企業でも「ビジョン」や「ミッション」を掲げ、従業員の行動の方向性を一貫・一致させることで、経営を安定させることはよく行われます。

ジャニーズ事務所においては、世代交代によってその規範が失われたことが退社続出の原因となったのかもしれません。

なぜ世代交代はうまくいかないのか?

これまで挙げてきた理由の考察のとおり、世代交代後には組織が混乱しがちなことも多いです。

「トップが変わるとやっぱりダメだ」ともいわれますが、組織運営のあり方に関する学問「組織論」の観点からは、これをどのように論じているのでしょうか。

この章では、最も著名な経営学者、ドラッカーとバーナードの2名の組織論から、「ジャニーズには何を間違ったのか」「どうすべきだったのか」を、わかりやすく分析してみます。

ドラッカーの組織論×ジャニーズ

「もしドラ」こと、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の小説、アニメ映画でも話題になった、現代経営学の父、ピーター・ドラッカー

人類で初めて、組織マネジメントを学問として体系的に整理した人物といわれ、その理論は多岐に渡りますが、例えば次のような説を論じています。

  • 企業の目的は顧客の創造である
    →顧客第一!顧客満足を追求することが大事!
  • 組織の目的は、人の強みを爆発させ、弱みを無くすこと
    →人が経営資源!人の強みを最大限発揮させるのが大切!
  • 部分を合わせたものよりも、全体の総和で大きな成果を生む
    →個々人の力だけでなく、グループ力が大切!


上記で抜粋した概念「お客様の満足を第一に考えて、人の強みを最大限発揮させて、グループ力で大きな成果を産む!」というのは、まるでジャニーズ事務所そのものです。

これらを貫いてきたからこそ、これまでのジャニーズの成功が成し得たのでしょう。

しかしながら、ドラッカーが論じた次の概念に関しては、注力できていなかったのかもしれません。

  • マネジメントとは権力ではない、人を活かす責任である。

  • 自らを存続させられない組織は失敗である。したがって、明日のマネジメントを担うべき人材を今日準備しなければならない。

  • 経営者や組織論が何といおうとも、優れた経営を行っている企業にワンマンはいない。

カリスマであるジャニー喜多川氏の後継者を早くから準備することができなかった点も然り。

また、後継であるジュリー氏が社長の権力によりお気に入りをひいきしたり、ワンマンの判断をしていると評されるジャニーズ事務所の弱体化の要因そのものがズバっと論じられています。

ジャニーズ事務所が今後も繁栄し続けるには、ワンマンの権力者による経営手法ではない、チーム力を活かした経営に舵を切ることが必要ではないかと推論されるといえるでしょう。

バーナードの組織論×ジャニーズ

ドラッカーと並んで「近代組織論の父」と呼ばれるチェスター・バーナード

1938年の著書『経営者の役割』が有名で、組織が成立するための条件などについて論じました。

ジャニーズ事務所の現状と照らし合わせると、ジャニーズではこの重要な説の大切なポイントをいくつか見落としていたのではないかとも思われます。

  • 人間は命令や権威だけでは動かない。それを個人が受容するからこそ組織が成り立つ。

  • 仲間と協働する意欲が重要。そのために自己肯定感・自己決定感なども必要。

  • 以心伝心的な意思疎通は重要であるが、時に疑問を持つ必要も。

経営者の指示がただあればいいのではなく、それを「メンバーが受け入れる」ところまでケアできていたでしょうか。

また、仲間と動くためには、"自己決定感"も大切といわれており、キンプリの例のように「自分たちがこうしたい」という意思がなかなか反映されなかった現実を映し出しているかのようにも感じます。

さらに、ジャニー氏が居た頃は「以心伝心、言わなくてもわかる」合意形成が機能していた側面もあったかと思いますが、それだけに頼っていると組織の成り立ちが脆くなってしまうという例にそのまま当てはまってしまったともいえるのではないでしょうか。

2025年問題に多くの企業が直面!

組織経営に重要な観点が、世代交代、二代目社長によって崩れてしまう、これは、ジャニーズ事務所に限ったことではありません

「2025年問題」という言葉をご存知でしょうか?

経産省と中小企業庁の試算によると、2025年に70歳以上になる中小企業の経営者が約245万社にもなるそうで、これらの企業において待ったなしに一気に世代交代が行われることとなるのです。

後継者不在による廃業や、後継者へのビジョン・経営手腕の伝達不足による経営難など、そこから生まれる課題は山積みです。

ジャニーズ事務所や次に挙げる一般企業の例も参考に、先手の対策を講じることが重要です。

なお、似た概念として、DX・ITの2025年の崖に関してもご興味がある方は以下記事もご覧ください。

 

世代交代の失敗例・成功例

世代交代の失敗例・成功例にはどのようなものがあるのか見ていきましょう。

大塚家具

世代交代をめぐる対立でよく知られた例は「大塚家具」の親子対決でしょう。

創業者の大塚勝久氏の「富裕層を中心とした会員制」か、娘の大塚久美子氏の「気軽に入りやすい店作り」かをめぐる経営方針の違いで対立が起きました。

株主総会などを経てお家騒動に勝利した久美子氏が社長に就任し舵取りをしましたが、その後経営難に陥り、2022年にはヤマダデンキに吸収合併されることとなりました。

親が築き上げたブランド力を引き継ぐにあたり、自分が勉強してきた知識やこだわりから「自分色・違った路線」をどうしても貫きたかった二代目のこだわりが上手く機能しなかった例といえるでしょう。

ライフ

スーパーマーケットチェーン「ライフ」を展開する、ライフコーポレーションも世代交代では悩ましい局面のあった企業です。

同社は、先日96歳で逝去された創業者の清水信次氏が、戦後の焼け野原から必要物資を調達するため、輸入品などの販売を行う「清水商店」を立ち上げたことからはじまる老舗です。

二代目社長には実弟の清水三夫氏が就任し、出だしは好調かに見えましたが、途中から本業も疎かに株式運用にのめり込んでしまいました

そこで創業者信次氏は、投資の失敗を理由に三夫氏を解任。その後、三菱商事出身の岩崎高治氏を三代目社長に招き、経営の躍進と安定に成功しました。

たとえ親族であっても迷わず退任を断行する経営判断が功を奏したよい例といわれています。

スノーピーク

キャンプ用品で人気のあるスノーピークの世代交代とその後の展開も一時メディアを賑わせました。

実は創業は1958年の金物問屋で、マザーズ・東証一部上場、全国区展開を推し進めたのは、二代目社長の山井太氏でした。

輝かしい成功をおさめた後、他企業の代替わりよりもだいぶ早く、60歳で山井太氏は会長に退き、娘の山井梨沙氏が32歳の若さで三代目社長に就任しました。

梨沙氏は、コロナ禍でもSNSやEC戦略で販売数を延ばし、就任後の業績も好調でしたが、そんな最中2022年9月に「既婚男性との交際及び妊娠を理由」に突然の辞任を発表。

結局、父である山井太会長が社長兼務となり、代替わりが後戻りしてしまいました。

このようなリスクはなかなか想定できるものではありませんが、若いうちの代替わりであったため、すぐに元社長が戻ってくることができたのも結果的には良かったのかもしれません。

星野リゾート

高級感ある旅館やホテルを経営する星野リゾートも、実は4世代にわたる同族企業です。

現代表の星野佳路氏は、世代交代の際、先代の父親の独善的な経営スタイルや公私混同(会社のお金を親族で使う)等の改革を目指し激しく対立した後、実の父親を解任しました。

星野佳路氏のその後の経営手腕や成功は、言わずもがなで、コロナ禍でも稼働率80%~90%を保つ一人勝ち状態だったといわれています。

また、自身が代替わりの際に苦労した経験から、ファミリービジネスの研究にライフワークとして取り組んでおり、事業承継に関する取材などにも多数応えていますので、その経験談を参考にするのもよいでしょう。

 

まとめ

この記事では、ジャニーズ事務所の退社報道の経緯や理由などを解説しました。

また、一般企業の例や、組織論の観点からも考察してみたので、「なるほど、どの企業にも起こりうることなのだな」と身近に感じていただいた方もいるかもしれません。

巨大事務所を一代にして築いたジャニー氏のビジネスモデルは素晴らしいものと思いますので、今後も新経営者のもとで更に飛躍するよう期待しながら注視していきたいですね。

 

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